大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

合羽橋・高円寺〜冬の旅3


大沼では横長の写真を撮ることが多いけど、東京は縦長ね。
3日目。心を整えて合羽橋へ。器・カトラリー・コーヒー器具など。
イメージ力を持って、集中力を絶やさずに。
10時の開店から入り、あっという間に14時。

浅草・今半のある角で力尽き、雨も降ってきたので雨宿り。
スカイツリーが蜃気楼のように見える。

そろそろ旅も終盤。ネットで探してもなかなか見つからないお皿を求め、
元々購入した先の若松河田にある「備後屋」さんへ。美しく丈夫な出西窯の青。
欠品していたが、店主さんとお話して、窯の事情、お店の事情などお聞きする。
東京の民芸店は検索してもここと銀座にある「たくみ」しか出てこない。
あとはデパート。備後屋さんはとても良心的なお値段で堅実な品揃え。

滅多に来られない場所なのでつい足をゆるめ、端から端まで見ていたらいい時間!
高円寺へと急ぐ。これまたずっとずっと来たかった「えほんやるすばんばんするかいしゃ」。
たぶん時間があったらずっとここにいてしまう。
高円寺内で移店してから新しくなったお店にまだ行ってなかったので、こちらも9年越しの夢。


狭い急な階段を上がり、秘密の隠れ家のような店内に入ると何だかふわっと感じのいい空気が
流れていました。それはもう、荒木さんにしか作れない世界なのだと思います。
2003年頃、私は高円寺に住んでいて、よくひとりであちこちを歩き回っていました。
まもなく開店します、というえほんやるすばんばんするかいしゃのお知らせを見て
OPENを心待ちにしたものです。

開店してから着々と手を入れてすてきなお店に仕上がってゆく様子や品揃えに見える見識の
高さ、絵本への愛情、どんな絵本の話を振っても必ず知っていてより深めて返してくれる
荒木さんとの会話も楽しかったですし、こどもの名前が書きこんである絵本とかも、
それがまたいいなと思って処理されているのが伝わってきて、温かい気持ちで絵本を連れて
帰りました。

やたらと買うのではなくしっかり吟味して連れてきた絵本は、今でも大切な本棚のお友達です。
絵本と人がそういう関係を作れるようそっと見守ってくれるような店主の在り方、
すばらしいと思います。

そんなとってもすてきなお店をやっているあの絵本への知識の深い荒木さんがまだ20代と知り
(私も20代だったけど私より年下)、それもまた驚きだったと記憶していますが、それから
15年以上。結婚して高円寺を離れ、お店には数回しか行っていないはずで、西荻から絵本屋
ねこひのご挨拶を葉書で出すと、面白い葉書が返ってきたような(内容は全く覚えていませんが)。

いつぶりかわからない来店なのに、私のこと覚えていて下さって嬉しかったです。
色々お話したい気持ちを抑え、限られた時間の8割を絵本選びに、残りをおしゃべりにあてて
「そろそろ行かないと」と向こうから言われるほどの熱量でしゃべってきてしまいました。

長谷川集平さんの絶版本『あのやまこえて』を手に、高円寺勤務の姉のもとへ。
自分がどんなところに心打たれたか、しっかり体に刻んできました。
その体験の詰まった箱があふれ出るようにしてお店が出来てゆくのですから。

この日ももう無理!と思うくらいくたくたになって同じホテルへ帰宅しましたが、
前日と同じ方法でしっかり体をほぐし、明日もうひと仕事大切なご挨拶ができるように!
と念じ足によーくお礼を言ってぐっすり眠りました。歩けることが嬉しくて嬉しくて、
つい歩きすぎてしまうのです。




民藝館・西荻〜冬の旅2


1日目の夜「香菜軒 寓」(鎌倉駅東口から徒歩14分)へ向かう道は人通りの少ない
狭い道だったっが、古い神社仏閣がポツポツと並び、雰囲気のある街並みだった。
「さいと焼 14日8時から おしる粉授与」という張り紙に目を引かれ、一瞬翌日の
スケジュールに組み込めるか迷う。さくっと見るだけないら何とかなりそう。

起きられるか心配したが、7時前に目を覚まし、すぐに宿を出られる状態にして
当の神社へ向かう。鍵は手元にあり24時間で入り自由という制度がありがたい。
昨日歩いた道から一本裏手に入ったところにあった。

破風についている彫り物がすばらしい。写真いまいちでごめんなさい。
古い神社なんだな。家に帰ってからもらった紙を見ると、鎌倉最古の厄除け神社で
開基は1081-1083年頃と言われる。すごい!さすが鎌倉。何気なくすごいものに
出会える。神社は地元の人々に愛されている雰囲気が満ちて、とても清々しかった。

「さいと焼」という言葉は初めて聞いたけど、日にちからどんど焼きかな、とあたりを
つけて行ったところ、果たしてそうだった。私の育った高崎では、どんど焼きはやる地区と
やらない地区があり、実家の地区は新興住宅地なのでやらず、友達の地区に参加させて
もらったことがある。でも、空き地でだるまやお札を燃やしているところに、ただ
子ども会で作った餅を枝に刺して焼いただけのイメージ。子ども心には餅の印象しかない。

八雲神社の境内では、皆さんが持ち寄った門松やお札などを焼く間も神主さんがお清め
をされ、お参りも皆熱心にされ、大人が子供に「もっと前に出で煙にあたりなさい」と
勧め(浄火で暖まると風邪をひかないなど効用がある)、一通り落ち着いたところで
おしる粉が「授与」され、それを皆有難くいただくという一連の「儀式」という雰囲気が
濃かった。(ちなみに大沼では1月7日がどんど焼きで、私は毎年行きそびれている)

さて、鎌倉から東京へ移動して午前中は駒場東大前の民藝館へ。
蕎麦屋や神社、民藝館など、一見新店舗と何の関係もない旅をぶらぶらしているように
見えるかもしれなけれど、こう見えても真剣に新店舗作りに必要な目的地を選び取っている。
流行りのカフェとかいわゆる観光地以上に、私には蕎麦屋や民藝館が指標に近いと思うから。

なんて、変な期待を持たせてもいけないけれど、翌日合羽橋での買い物の前に
どうしても心の中を整理しておきたいと思い、民藝館を目指した。
東京にいる時には立ち寄ったことのない、少し外れにある民藝館は、1936年に柳宗悦らに
よって開設された。以後80年以上も、静かで清々しい静謐な空気を保っている。現在の館長は
無印良品のデザイナーでもある深澤直人さん。六本木の民藝展も気になったが時間が足りず。

渋谷駅に荷物を預け、民藝館を堪能した後、表参道の「madu」、裏通りの「ユトレヒト」へ。
maduは喧騒を逃れ、民藝館と同じくきりっと芯の通った品揃え。ゆるぎない。
そこから15分弱で行けるはず(地図上)のユトレヒトは、新旧アート本を揃えた図書室の
ような店だが、大通りからの小道を数えるのを忘れたら、最後の1本があやふやに。
ぐるっとしてからゆうパックのお兄さんに尋ねると、仕事中なのにわざわざお店が見える
ところまで1本裏の道へと歩いて案内して下さった。

タイとかで子どもたちがよくこうしてその場所まで付き添って案内してくれたけど、日本の
大人でもゆとりのある人がいるんだなぁと感激しながら早足に付き添う。私が北海道から来た
と伝えると、自分も愛媛出身でと教えてくれた。
東京の人は冷たいという人がいるけれど、私はそうは思わない。

渋谷駅で荷物を回収し、若干予定時間をオーバーしたので時間優先で井の頭線で吉祥寺へ、
吉祥寺からJRで西荻窪へ一駅。ずっと気になっていた喫茶店「ユハ」とアンティーク街
が主な目的。急ぎ足でユハに到着するも3時直前なので満席だった。夕方の予約をして店を
出ようとした瞬間、西荻の店の最初の常連さんだったTさんが席から声をかけてくれた。


(ずっと行きたくて持っていたユハさんOPEN当初のDM。2010年のはずだから9年越しの夢?!)
すてきなハプニングに感謝しつつ、Tさんと同席させてもらいひと息。ユハさんのコーヒー、
とても美味しい。ひとりでやっているのにレコードで音楽をかけているところや、照明の感じも
好き。近くにあったら足繁く通ってただろうなぁとぼんやり思いつつ(うちと入れ違いにOPEN)
Tさんに手短に旅の説明と近況報告。ご家族で大沼にも来て下さったTさんの年賀状に、
西荻にもぜひ」とあり、お約束はしてないけど街でばったり会ったりして…と思っていたので
出来過ぎた偶然に笑ってしまった。帰り道南口の新しいお店などを紹介してもらいながら駅へ。

そこから限られた時間でひたすらアンティーク街を歩く。新店舗用の探し物幾つかがありそうな
お店をめがけて。椅子の補助になりそうなものを1点「慈光」さんで購入。遠方だからとおまけ
してくれた。途中「木土藍楽」さんでキュートで珍しい雪の結晶柄の印判染付の平皿に出会う。
5枚組の最後の1枚とのことで安く譲って下さった。お店で使えるかわからないけれど、このお皿
から受け取るものは、間違いなく私に力をくれ新店舗作りへの励ましになると思い購入。
ご主人山形の出身とのことで、この珍しい柄の絵皿も山形で買い付けたとのこと。
「北海道から来ました」というと皆さん心開き優しくしてくれるのが嬉しい。

この後、西荻で常連さんだった編集者のHさんと待ち合わせて「グレイス」へ。Hさんも
「月とビスケット.」のゆきさんも、それからやはり西荻常連さんで大沼まで来て下さった
Gさんも一押しと言っていたケーキと紅茶のお店。
きりっとした店内、隅々まで行き届いた感じの清らかさがあった。

さすがにエネルギー切れでおにぎりを買って飯田橋のホテルへ帰る。以前子連れで泊まった
ときには遠く感じた道のりが、ひとりだと近い。夜道で行き過ぎてしまった程。
それにしても、旅の仕方が母とそっくりな気がして自分でも笑えた。
2度お風呂に入ってよーーーく足をもみほぐして寝た。ひとりって静かで安らか。熟睡。




鎌倉〜冬の旅1


行ってきました鎌倉・東京。久しぶりのひとり旅を満喫し、新店舗の構想考えつつ
朝から晩まで足がパンパンになるまで歩いてきました。よくもみほぐして次の日、
また次の日も。連休の鎌倉は修学旅行生でいっぱいの新京極(京都)みたいになって
たけど、小春日和に心浮き立ちしばらくその波に流されてみたり、お蕎麦屋さんに
入ったり。でもどんな時でも心は新店舗に向かっているので、常にライトやメニュー
が気になったり。鎌倉の町はちょっと外れを歩くだけでも色々参考になります。

私はスーツケースを持ったことがなく、どこへ行くのも何泊するのもほぼ同じ、
車の旅以外は中くらいのリュックひとつです。それが自分が持てる量だから。
いかにもバックパッカーという体のどでかいのは初めての海外でエジプト・ギリシア
行った時は持って行ったけど、その量は多いなと感じてメキシコインドあたりからは
3日でも1か月でもそのスタイル。20代から変わっていません。
3日以上なら洗濯すればいいだけ。ロープと洗濯ばさみが加わります。

今回の宿「ホテルニューカマクラ」は、かつて格式のあるホテルだった築80年のレトロな建物を
ヒュッテのような使い方で運営してる面白いホテルです。ホテルマンはおらず、スタッフの方が
夜間以外数名常駐しているだけ。アパルトマンかメゾンという雰囲気でとてもさっぱりしています。
素泊まりのみですが、これだけ食べ物屋さんにあふれる鎌倉では、むしろありがたいくらい。
お願いすれば朝は近所のベーカリーカフェから出前をルームサービスで取り寄せられるそう。

鎌倉駅から徒歩1分という立地ですが、一番小さい「梅の間」は、5000円くらいでお借りできます。
3畳くらいの小部屋でトイレ風呂は共用(一人入浴可)ですが、昔の下宿(あるいは豪華な
ロッジ)みたいで楽しいです。こんな時小柄って便利だなと思います。3畳で何の不足もなし。
芥川龍之介がここで岡本かの子と出会ったという時代に思いを馳せながら、ミニマルについて
考えたり、ポイントを押さえたサービスの妙に感じ入ったり。お互いが楽をするシステムを考え
実践されているすばらしさ。人を選ぶと思うけど、こういう感じを求めている人は少なからず
いるでしょう。そこをちゃんと見抜いて長らく場所を守って下さっている方がいることに感謝。

鎌倉へ来た一番の目的は、古道具屋「R」さんを訪ねることでした。
江ノ電の窓から見えるすてきなお店の外観が気になってから十数年経って、ようやく
秘密の扉のような入り口をくぐることができました。静かでしっかり物と向き合える空間。
スケールを持っていって気になった物を片端から計測&撮影させていただきました。
家具をチェックしに行ったので買わなかったけど、山形の平清水焼の片口がすばらしい色でした。

夜は数年前鎌倉に転居した友人夫婦が営む「香菜軒 寓」へ。味はもちろんのこと、
ふたりの人柄に惹かれて通う常連客も多い、町外れの隠れ家のようなお店です。
スマホも携帯もない旅なので、事前に電車や地図を書き込んで予習するのですが、
ここは特に夜迷子になったら大変そうな場所だったので2回地図を書き写し、しっかり頭に
入れて行きました。優しいカレーの味を思い浮かべつつ。
迷うことなく到着。駅前とは全然違う風情の途中の街並みについ足を止め、予定時刻は過ぎた
ものの、常連の近所のお客さんも交えて話が弾み、気づけば21時。慌ててバスに飛び乗り、
一日目終了。夜は首元が寒い、1月の鎌倉でした。




バードの終点、私の起点


テーブルや棚の位置に新聞を敷き、必要なサイズを確認。

2007年頃だったと思う。休日の旅にあちこち見て回り、鎌倉、藤野、長野、夫は山梨へも。
ふたりとも好きな岩手では台風に追い返されるようにして帰って来た。ふたりともココ!
という場所がなかなか見つからない。

焦りを感じ始めていた頃、一旦移住という視点を置いて私は以前から行ってみたかった場所へ
ひとりで行こうと決心した。それは二風谷(平取)。
苫小牧からバスに乗っての遠路は東京からでもそれひとつの目的に絞らないと難しい場所
だった。人を誘うにはあまりに遠く、目的は言葉にならない。でも何か自分にとって大切な
ものを確かめる為に行きたかった。結局夫も行くと言い、ふたり旅になった。

10月24日か25日から数日の旅だった。二風谷へ向かうまでに、まず飛行機の上から虹が見え、
ローカルバスからは1時間も虹が消えずに見えていた。何だか歓迎されているみたいだった。

紅葉がとてもきれいで、晴天に恵まれた数日間。

とても不思議な空気感のある平取・二風谷を後にして、すっきりした気持ちで噴火湾を電車で
ぐるっと森・函館方面へ。途中気になる伊達・長万部・森などに寄りながら大沼へ降り立つ。


迎え入れてくれた小沼。
ほんとうにすばらしい数日間だった。二風谷から始まった旅で大沼と出会うことができたので、
今こうして家族が増え、新店舗を作るまでになった感謝を込めて、
昨年の夏の旅はそのお礼参りの意味を込めたものだった。→ ★夏の旅日記


イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読んだのは、2007年の運命的な旅より後で、明治時代の
アイヌの様子や道南から日高の当時の様子が面白くて夢中になった。昨年から「北海道命名
150年」として道内ではイザベラ・バードが取り上げられる機会が多く、
道内各局で「バードの道を歩く」という企画物を目にする。

私が読んだ頃、バードは西日本も旅していたし、日本の旅の目的地が「平取」ということを
テレビを見るまで意識せずにいたのだった。
ここ2週間で立て続けに同じような番組を見て、旅の最終目的地が平取、しかもそこまで大沼
から森、室蘭を通って厚真、平取という去年の私たちの夏の旅と全く同じものだったので
何かご縁を感じずにはいられなかった。

言葉ではうまくまとめられない。
クリスマス頃にやっていた方の番組で、最後に自らもアイヌの血を引く二風谷アイヌ博物館の
関根さんが、「バードに会っていたらどんなことを伝えたいですか」というインタビューの問い
に答えていたことがとても素晴らしく、アイヌの本質をついているように感じた。
「文化とか自然とのつながりとか、そういうのではなく、自分が幸せだということ、アイヌ
あることがとても幸せだと感じているということを伝えたい」とキラキラした瞳で話していた。

「在る」ということの喜び。
「何か」は今もうまく言葉にできないけれど、あそこが起点だと確信できる。
二風谷から始まった旅が、今展開しようとしている。

明日から新しいお店用の買い出しや視察・ご挨拶を兼ねてひとり旅。ちょっと南下してきます。
まとまらないままに差し出すのは乱暴かもしれないけれど、今伝えたいという気がして書かせて
いただきました。
何かこうした長い束を束ねるように、ここまで来てご縁があって今ここにいます。
そして色々なものがどんどんつながり始めていることが面白くてたまりません。
またいつか、まとまりのある形でみなさんにお伝えしたいけど、まずは行ってきます!




新月・日食


あけましておめでとうございます
健康で楽しい一年になりますように☆

無意識に神秘的だなぁと思って撮った今日の写真ですが、アップする段になって
気づきました!丁度日食のピーク時だったのですね。
何だか神秘的、と思って思わず何枚か撮ったのです。

中央は駆けてゆく子どもたち。
日食と聞いていたのにすっかり忘れていて、
そういえば今日撮った写真が暗いので気づいたという^^
あぁ見たいなぁと心の中で思うだけですーっと実現してゆくのですね。

4日仕事初め。5日仕事後疲れを取るべく温泉に行ったらぐーっと寝てしまい、
気持ちよく疲れが取れてゆき、今日は半日お休み。近くのジュンサイ沼に
ワカサギ釣りに行きました。冬の大沼と言えばこれ!朝早めがおすすめ。

氷上に立ち並ぶテント、は9時にもう満員で、まずは野外で開始

ラッキーなことにテントがすぐ空きました!


ワカサギ釣りは糸を垂らせば子供でもすぐかかるのですが、
餌をつけるところと獲物を外すところはなかなかの手間なので、
子どもが最初から最後まで全部できるようになるには高学年くらいでないと
難しいのです。どんどん釣れるので、せっせとお世話が必要(夫が一番大変)。

今日は大漁☆彡2時間で100匹ちかく獲れました♡

100匹と言っても、こぶりなので300gくらい。ひとつひとつ内臓抜いて
処理するのはすごい手間です(夫と息子1の仕事)。天ぷらのとき粉まで作って
もらって私にバトンタッチ。天ぷら100匹揚げました♪
繊細な味なので塩で食べると美味です。

午後は新店舗に「棚を置く場所」「テーブルを置く場所」「レジカウンター」の
イメージを新聞でサイズを作り並べながら細かい寸法などを決めてゆきました。
同時進行であれこれ進むのでたまにわーんとなりますが、ひとまず
買い出し旅行前に決めておかなければならないことはだいたい決まりました。

それでは、今年もよろしくお願いします!





入り口を入るとこんな売り場があってね

斜め右を向くと私が立ってる厨房が見えて、

右を向くとこんな風

今なら裏口からの景色も見せられる

トイレから戻って来る時に入り口のドアへ向くとこう。

雪が静かに降り積もり、外は静かでしんとしてて、そんな中
せっせと齊田さんが手作業をして下さり、時々屋根を張る板金屋さんや、
電気屋さんや、水回りの工事の人たちが出入りして、この1か月の間にも
着々と新店舗作りが進んでいきました。

隣りの母屋では私と芹沢がせっせと荷作りをして、1日におやつを1度
持って行き一言二言齊田さんと言葉を交わすのが精いっぱいという日々で。
行くたびにあ!!と思うほど色々が仕上がっていくので楽しかったです。
ゆっくり眺めて浸っていたいけど、立ち止まる間もなく、次々に何かがやってくる。

お世話になった方や感謝を表したい方、表しきれない方もたくさんいるけれど、
とにかくまずこれを形にすることが感謝の表しだと思うので、倒れることなく
一歩一歩進みます。なわとびのように、毎日必須項目をクリアし、よし、これでOK!
気づくと子どもと寝る時間。繰り返して明日は大みそか。充実していました。


2018年、皆様に感謝の気持ちを込めて。
2019年がすばらしい一年となりますように☆彡






息子2が生まれる頃に息子1と夫が作ったクリスマスツリーもかなり年季が入って
きました。私がノータッチで今や子どもたちが好き放題飾りつけをしているので、
ミノムシとかよくわからないものまで吊るされています^^

夏に大沼へ来た東京ののぞみ園さんがクリスマスクッキーを送って
くださいました。早速楽しそうにツリーに飾る子どもたち。
ずっしりしたクッキーは外国のクリスマスを思わせるものでした。

先日うちにも小さなサンタさんが現れましたよ。

息子2まもなく6歳。
「最近おかあさんこわい顔ばっかしてるね。
 …昔は可愛かったのになぁ…」
と言われてしまいました。亭主か!


息子1は2年がかりで編んでいたネックウォーマーを完成☆
根気がよく続くな〜と他人ごとのように感心。スキーが大好きなので
実用的な仕上がりイメージを持って編んでいたもよう。

私は編み物は向いてないみたいでまっすぐ編む・止めるしか出来ないし
やろうともしないのですが、その2つだけ教えて、一色じゃつまらない
からちょこっと色変えてみる?とアドバイスをするも技術がなく
普通に糸と糸を結んで仕上げてしまいましたがいいんですかね?

ちなみにお母さんが編み物教室の先生だった夫は私よりずっと上手で
昔編んだ模様編みとかカーディガンとか見せてもらったことはあるの
ですが一向に教えてやってくれないので、中学の記憶頼りに手探りでした。
合ってるかどうかはわかんないけど、使えてあったかければいいよね。

冬至、満月、お月様が蛍光灯の街灯のように明るく、雪を青白く照らしています。
大沼の上に浮かぶ満月は湖面にビームを放ち、とても美しかったです。
皆様のところへもすばらしい月の光が届きますように。Merry Chritmas♪