大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

いだてん

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今年はものすごく久しぶりにNHKの大河ドラマを見た。子どもの頃親と見てた時以来かな。独眼竜政宗だけは面白かったな。クドカンが大河?!と聞き、時代は大正あたりと聞き、戦国物ではないと聞き、これは「見たい!」と思ったのだけど、1月上旬はバタバタで、見始めたのは4・5週目くらい。(*クドカンとは宮藤官九郎さんのこと)

「世間」ではいだてんの視聴率は過去最低とかなんとか言われていた頃で。でも私は全然そんなの気にならない。いつだって、多数派ではないんだもの。それにクドカン作品の神髄というのは、少数派や今まで当たっていなかったところへスポットライトを当てることだと思うから。

戦国武将が出てこない、それもマラソンという地味な(と言ったら失礼かもしれないけど、一見してドラマが見えにくいという意味で)競技をどうやって調理してゆくのかとても興味があった。視聴率が低いってことは、きっとクドカンが挑戦している証拠なんだろうなと思った。伏線だらけの仕立て方が好きだけど、嫌いな人もいるだろう。

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とはいえ5週目からの4回くらいは、半年の物語の中でも底の部分で、いきなりそこから入ったので一緒に見てた夫は一時見なくなる。そうだね、それが普通の反応かも。初めて日本人が出たオリンピックは緊張でぼろ負けだよ。走りのシーン長すぎだよ。それでも私はクドカンが描きたかったものを目を凝らして観る。時間が許せば2回ずつみた。努力する人は報われて、セリフははっきり聞き取りやすい「なつぞら」とは対極だ。

じわじわとしみてきて、盛り上がりが足りない時はサブに「木更津キャッツアイ」と「あまちゃん」を借りてきて夜中に並走して見たりした。自分がそんなにクドカン好きだったことにびっくり。3作を見ながら、色々気づく。たぶん私は全然立派じゃない大人の、ただの人の面白さを笑ってくれるクドカンのスタイルに浄化されてるんだろう。はみだしものをすくいあげてくれる愛に救われてるんだろう。「木更津」はほんと名作だ。

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大河ドラマの大半はこれまでサクセスストーリーで、出てくる大人は立派になっていった。でも、もうそんなスタイルを見本にしなくていいんだ、といだてんが教えてくれる。いだてんには「立派な人」「えらい人」が全然出てこない。えらいはずの立場の人はコミカルにえらさを外してる。

全然盛り上がってなかった「底の部分」のいだてんと大ヒット作品である「あまちゃん」を見比べながら、そうか、男だらけでそれが立派でもなんでもないとこんなに華がないんだなと気づく。あまちゃんは女性が活躍するドラマ。いだてんの前半はひたすらだめな男を描いていて、後半一気に女性を出して盛り上げる。

森山未来さんに見とれながらすっかり毎週のお楽しみになると、いつの間にか子どもも夫も逃さず見るようになっていた。私はひとりで見て、それから家族でもう一度みる。画面が映画みたいにきれいだし、画面に見とれているとぼそっと言われることの多いセリフを聴き取れなかったりするから、2度目は字幕でみたりする。親子で熊本弁が静かなブーム。


唯一楽しみにしていた番組が半年で一区切り。後半は主役が阿部サダヲさんにバトンタッチ。どんな展開が待っているんだろう。「世間」に評価はされなくても、私はとっても楽しみにしている。表現できるギリギリのところまで、タブーを描こうとするクドカンの姿勢が好きだ。「わかるやつだけわかればいい」という「あまちゃん」の駅長さんのセリフ。その言葉が独りよがりでなく使われる時、とつけもにゃあ豊かな表現が生まれる。