大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

ベイカー~揺るがす


コロナ以降、人の流れのアップダウンが激しく、予想がとても難しいので、賞味期限の短いパンを十分ご用意することが難しいなぁと感じていた日々。

今週も、昨日は早々に売り切れてしまったけれど、今日はお天気もいいのにパンは余ってしまいました。余ることが多いと焼く量も減ってくるので、欲しい人が来た時にはないという悪循環。

コロナ対策の観点からはお店をあまり盛り上げてはいけないのではないかという気持ちと、そうは言っても開けておくならある程度人を呼ばなければという気持ち、せっかく大沼に来ていただいた方には満足して帰って欲しいという色々なベクトルに程よい落としどころを考えていました。

新しいアルバイトのAちゃんと相談して考えた「ストックパンセット」を始めます。店内飲食の方のみで、コーヒーに+110円(予定)でつけられるストックパンのセットです。

内容はその時によって違いますが、例えばあんぱん1個、またはソーセージロール1個、またはスライスパンの場合は2切れくらい。ストックがある時だけで、内容もその都度変わりますが、運試しみたいなつもりでお楽しみください^^


以前、このブログで三月の羊の「パン屋ではない案件」書きましたが、最近Eテレのブリティッシュベイクオフを観ていて、三月の羊(芹沢)の仕事ってこういうことか、とようやくわかってきました(遅っ)。

日本だと「パン屋さんなの?ケーキ屋さんなの?」と細かいカテゴライズを求められるのですが、ヨーロッパだとベイカーとは、パンも焼くし、焼き菓子も焼く「焼く人」なのですね。

このことは芹沢から以前聞いていたのですが、あまりピンときていなかった私は、この番組で登場する人たちが、みんな違和感なく一続きのものとしてお菓子とパンを扱っている様子を見て、ようやく飲み込むことができました。

日本ではカテゴライズを求められる場面が多いので、長らく説明に困っていました。特に、変わったものを何となく受け入れ、個人個人が自分の好きな使い方を見出してゆく西荻窪の場所柄と違って、大沼でははっきりと「〇〇です」と名乗ることを求められ、もじもじしていると相手が「こうね」と自動的に判断して決まっていってしまうので、「ここで何と名乗ればいいか問題」は皆さんが思う以上に私には重荷でした。

また、昨今こちらから依頼していないのにいつの間にか食べログなどの情報サイトにお店についての掲載があり、お店を何屋さんだと思って来店したかによって、皆さんが期待したりがっかりされることが多く、もっとわかりやすくしていかなくちゃ、とパソコンにほとんど触らない夫の代わりに情報発信している私が悩んでいました。

分かりやすくするために極限までパンを少なくし、露出も控えてみました。でも、そうするとただパンが残ることが多くなり、何だか思っていたのと違うなぁという違和感が残りました

芹沢自身は、分け隔てなく焼き菓子もパンも心を込めて誠実に作っているのに、「パン屋ではないです」と言っただけで「パンを買うお店ではないのね」と見切られてしまったり、「タルトがウリです」と言ったらタルトが売れるという状況は、何だか変だなぁと思っていました。

だって、どれも美味しいですし、どれかに力を入れていて、どれかに手を抜いているというわけではないのですもの。

でも、夫に相談しても、本人は修行僧のように淡々と果樹を育て、お菓子とパンを作るという日々の実作業に専念しているので、ネット上でどう思われているかとか、皆さんにどうカテゴライズされているかにほとんど執着がなく、困っているのは主に私(^_^;) という状況が続いていました。

何か私の捉え方や伝え方に問題があるんだろうなぁとぼんやり思っていたのだけど、ブリティッシュベイクオフを観た時に、これこれ!という気持ちになったのです。

喧嘩の絶えなかった結婚後、「この人前世フランス人かも(笑)」と思う場面が多く、そう思ったら摩擦が減ったことがあります。「??」と思ったときにイラっとするのは「日本人なら普通こう思うはず」という常識を押し付けていたのですね。「この人はフランス人だ」という前提で結婚生活を送ると、うまくいきました。

妻も自分を下にすることなく堂々と意見を言う。堂々と大切に扱ってもらう。自分が遊びに行くときにも、別に何も後ろめたく思わずに「お願いね」と別に特別な作り置きや手配をせずに出かけていく。家やお墓についても、おかしいと思ったことは、相手を尊重しつつ、疑問を投げかける、というようなことです。

男女を逆転させてえばるわけではなく、対等な人間として、友達のように接するだけなのですが、女友達に話すと「旦那さん優しいね。」という言葉で片づけられるので私の世代でもまだまだ男女の格差があるのが日本の現状なのだろうなと思います。

この方式でやるなら、お店に関しては「この人前世フランスの修道僧なんです(笑)」という説明が一番しっくりくるかしら。

広島原爆投下の日、今まで以上に深く祈りをささげた朝となりましたが、あえてこの話題を書いたのは、こうした一人一人の常識を揺るがす作業が、核兵器の廃絶や世界の平和につながるものとして、きっと大切だろうと思うからです。

自分の常識に固執せず、違う目で世界を見る練習をすること。握りしめるのではなく手放してゆく方へ、向かってゆくこと。

意識の世界を変えたら、世界はもっと緩やかに過ごしやすい場所になる。
諦めることなく、私は心を揺るがし続けます。明日あなたと笑えるように。