大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

光と影


先日、夫と息子2がティータイムにヴィクトリアケーキを焼いてくれた。スポンジケーキラズベリージャムをサンドしたシンプルなケーキだが、過不足のない美味しさと、自宅の庭で栽培した手作りラズベリージャムの豊かさ。イギリス製の素朴なブラウン・ベティのポットでディンブラ(紅茶)を入れて久しぶりに4人揃ってゆっくりできたひととき。

エリザベス女王の葬儀の日のことだった。

テレビで葬儀の様子が映し出され、厳かな雰囲気と共にとても印象的だったのは、棺を運ぶ衛兵の方ひとりひとりから、公務という以上に、個人的な心からの哀悼の気持ちが感じられたこと。何かとても人間的なものが、そこに写っていた。列が心持ち乱れ、哀しみを湛えた表情と仕草。

イギリスというと、少しばかり鼻持ちならない言い回しで気取りやとっつきにくさを感じることもあるが、ここ数年は息子2との読書で、ドリトル先生パディントンロアルド・ダールの作品、ホームズなどの名作に触れ、身近に感じることが多かった。

アルバート公を亡くした先のエリザベス女王の哀しみを癒したと言われるこの素朴なスポンジケーキや今回の葬儀から伝わってくるものは、人間的で温かみのある文化で、イギリスの国民性に触れた気がした。

一方でその宝冠に散りばめられた大きすぎるダイヤや、紅茶の産地であるインドやスリランカを想うと、その栄光裏にはまた、濃い影を感じるものの、画面を越えて伝わってくる人の感情に訴えかける「何か」の量のすごさに驚いた。

影と言えば、盛大な葬儀の日に語られることのない赤木さんの死を、私は忘れない。赤木さんのファイルの写真を見た時に自分でもわけがわからず号泣した衝撃を。何も説明されていなくても、詳細を知らなくても、画面を超えてやってきたものがある。

今回ケーキは息子2が中心になって作り、自分は少し手伝っただけだよ、と夫が言っていた。華やかでも立派でもない素朴なケーキを味わう時のような穏やかで充足した時が、みんなに等しくありますように。