大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

開拓(移住こぼれ話1)

もう少しで移住から4年経ちます。
あー。なんてたくさんのことがあったんだろう。

北海道に来て、気候や暮らし方、人との接し方など
今までと違うことがたくさんありました。

道ばたで会うおじいちゃんがいつも話しかけてくれて
嬉しかったけど、半分も言っていることがわからずびくびく。
それも半分はわかるようになりました。

「こうしたいんだけど」という願望入りの相談口調は、こちらでは
あっという間に進んで実現します。
すばらしいことだけど、これにも最初は戸惑いました。
今まで私がいた地域では、願望があってもそれがゆっくりゆっくり
進んでいたから。

大沼では、ほんとうに言葉に魂があるみたい。
周りの人に言うとあっという間にかなってゆきます。

笑えないようなこともありました。
2年前土地探しをしていたときに、私が大家さんに
町内会に入らない理由として、
「いや〜できれば夏には新しい場所を探して出て行きたいと
思っているのです。」
と一言話したら、大家さんがもう決定事項として次の人を
探してしまい、新しい場所も家もないのに、そこを出ていかなければ
ならなくなってしまいました。

夏のある日、夫が青い顔をして家に帰ってきました。
大家さんからいつ出て行くのか正式な日を教えてと聞かれたというのです。
8月中には次の人が住むから、と。

完全なコミュニケーション不足です。
でも、私はなんだか笑ってしまいました。
夫が青すじをぴくぴくさせているのを見て
ますます笑いました。

「だってー。こんな展開になるなんて、きっと
新しい土地が見つかるに違いないよ!」
すぐに彼の頭に入っていた候補地をリストアップ。
その中に、私の知らない土地がありました。
「ここは?」

売地ではなく「管理地」という札が立っていたので、
彼のなかでそのままにしていたらしいのです。
すぐに見に行って、明るい気持ちになりました。
ここだ。
何か、歌が流れてきました。





色々やりたいアイデアを持っている彼のお眼鏡に合う土地は
そうそう表れず、むずむずしながら1年経過したときでした。
管理地だって、持ち主がわかるなら万々歳。
連絡先が書いてあったので、早速電話しました。

2千坪という、私が思っていたより大きな土地だったのですが、
里山のような場所でパーマカルチャーの実践をしたいと
考えていた夫には「特別広くない」土地だというので、
とにかくすすみました。

そこから、土地を買い、家が経つまで、短時間で
大きなものを動かすのはほんとうに大変だったけど、
気弱にならずに私はおじいちゃんの孫だ、と胸を張って進みました。
その年のはじめ、99歳まで生きた祖父は、
時々どーんと大きなもの(大きな石や一枚板の扉、アメジストの塊など)
を買う人でした。

最初の借家を引き払う期限の2週間前に、
ようやく土地を売ってくださった方のお世話で
新しい土地の近くに家がみつかりました。

知らない場所で住む家が見つからない状況で荷造りをしていた心境は
何とも心細いものでした。

祖父や両親、友人をはじめ、たくさんの人の力を借りて、
今ここに住むことができることを心から感謝します。
数年かけて夫が切り開き、果樹等を植えた庭は
少しずつ少しずつ進化してきました。

そして今、念願の物置小屋を建設中です。
手伝いを申し出てくれた友だちに大感謝。
幸せな気持ちになってようやく書ける大変だったエピソードでした。

ここに建てます。

庭から切り出した丸太の皮はぎ

立派な落葉松、柱として大切に使わせていただきます。