大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(喫茶とgallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

ラップと自分史


『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』プレディみかこ著、新潮社


2年間私の杖になってくれたCreepy Nuts経由で去年見てたABEMAの「ラップスタア誕生」は素人の若きラッパーたちが凌ぎを削り、2500人の応募者から選ばれた31名が更に10名に絞られるところから始まった。現在活躍中のプロラッパーたちの講評を聞くうち、HIP HOPにそう詳しくない私にも、ラップの構造や聴き所が見えてきた。みんな表現がすかしてない、真正面な感じがいい。

Awichさんはその審査陣唯一のフィメールラッパー。18歳のCYBER RUIちゃん推しに共鳴して親近感が湧いてアルバムを聞いたら、昨年リリースされた「Queendom」にバチはまり。タイトルにもなっている1曲目の同曲(YouTubeではこちら)が突き刺さる。

群馬のFUJI TAITOくんの気迫もそうだが、Awichさんもまた、沖縄(TAITOは太田)に生きることの切実さを見せてくれた。10人のうちの多くは多国籍な出生やシビアな環境を抱えている。その闇を吐き出すように、生きるために歌う。

過酷さをパワーに変えているからこそ、そこらの同年代の若者とは違う重みと輝きを放っている。RUIちゃんみたいに一見恵まれた環境に見える子も、やっぱり現代の重圧や優しさ故に絡め取られてしまう「いい子」という太い鎖、引きちぎりたくなるほどの抑圧を抱え、見る人を解き放つ。

「ラップスタア」の前後に1・2を読んだ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』はその世界と少しリンクしていた。イギリス下町の「底辺中学校」に通う息子と、母であるプレディみかこさんが一緒に心を揺らしながら多様性について考える数年前からの話題作だが、昨年2が出た。中学生の息子が体験する身近なエピソードからイギリスの社会事情があぶり出される。

ちょうど同じ年頃の息子1も手に取り、親子で共有できた。イギリスではオープンに考える機会が設けられる国籍や貧富の差・LGBTQにまつわる偏見や厳しい現実・生きづらさは、日本ではあるのに見えないようにされている場面が多く、親子がオープンに話合う機会は少ない。

「イギリスは(日本より)色んな人種の人が住んでるから」と夫は言うけど、TAITOくんの眼差しを見ていると、突きつけられる。外国じゃない。過去じゃない。日本に、すぐ隣に、今見えなくされてるものがあるんだと。

知らずに育ってしまっても、せめて10代20代の子たちの叫びに耳を傾け続けたい。ラップってイカかしたツールだな。未来を感じる。最大公約数にウケるポップスや大人たちの言葉に、自分はいない。だから自分で言葉を紡ぐんだ。言葉があふれてしまうくらい、人と分かち合えずにきた自分の中にあるものを、取り出して眺め、聞き心地良くリズムを整える。

明日は札幌でクリーピーとAwichさんの2マンライブ。仕事で行けないけど、同じ北海道でアツいライブが繰り広げられるであろうことを思うだけで心がぎゅっとする。ほのぼのした田舎暮らしとラップ?と思う方もいるかもしれないけど、今は亡きストーリーテリングの師、櫻井美紀先生がおっしゃっていた「語ろう、自分の言葉で」という自分史のすすめとラップはほぼ一緒だと私は思う。

自分を語る、何かをほどく、そして時に聞いている人が連なる。そこに、不思議な力が宿る。このブログもまた、その一続き。