大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(喫茶とgallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

若緑・若鮎


うちでは読書は娯楽。子供たちは漫画もいっぱい読むけどお話もおやつのように幾らでも食べる。私が子供たちに本を読むのは抱っこの代わりで、大筋はコミュニケーション。副産物は自分の中身(土壌)がしっかり育つことかなと思ってるけど、これで学力を上げようとかいい子になってもらおうとか思ったことはない。

むしろ読書は不良の始まりくらいに思っている。多くの本を読めば、身の回りの大人の言うことは必ずしも聞かなくてもいいんだなと思え、先生や親の存在は小さくなってゆくという経験を自分もしてきたから。

田舎で育つ子供たちは送迎など親のサポートが必要な場面が多く、親は学校へ行く機会も多いから、子供たちにとっては身近な大人の存在は都会に比べて大きくなりやすいように見える。だから私は、できるだけ地域の子供たちにも自分で考える力、自分の価値観を育て、自分ひとりで勝手に動き回れる範囲を広げて欲しいな、と思う。

親や先生が何か言ったとしても、それはただのちっぽけなひとりの弱弱な人間の一意見に過ぎないんだよ、誰よりもあなたを愛しているから参考になることも多いかもしれないけれど、それがあなたにとって最上の意見となるかはわからないんだよ、ってことを知ってて欲しい。

そんな気持ちが透けて見えるせいか、私は子供になめられている。怒ってる途中で服を後ろ前に着てることに気づいて思わず自分が笑っちゃったり、学校の提出物に子供の名前を書くべき箇所に自分の名前を書いて、息子1から「ここには子供の名前を書くのだと思います」とそっとメモをつけて返されたりしてるかからかな(^_^;)

全然「親」をちゃんとできてる感はないけど、それを補うようにしっかりしてきている子供たち。今年に入って毎晩の読書タイムに「疲れてるから読めないー」と言ったら息子2がすっと本を取り、じゃあKが読むねと結構すらすら音読してくれた。うとうと気持ちがよくなってすぐに寝てしまったら物語の山場を聞き逃した(^_^;)


ある時は心がすさんでいたので「なんか読んでー」と甘えてみたら、本棚をガサゴソやって『てぶくろ』を読んでくれた。読み終えてから、「なんでこれ読んだかわかる?」と表紙の「ウクライナ民話」の文字を指さした。うとうとしてたのが申し訳なくなり、聞いていたフリをした。

長引く戦火に心がザワザワして重くなりがちという状況はきっと多くの方が同じだろうけれど、小4の息子もずっと気がかりのようで、時々ふっと口にする。兄弟げんかの後さっと握手して、「ロシアとウクライナもこうすればいいのにな」と誰に言うともなく呟いたり。

本人曰く「本は好きじゃない」そう^^だけど、寝る前の読書タイムはお楽しみになっていて、ドリトル先生パディントンに続いて、『点子ちゃんとアントン』『大どろぼうホッツェンプロッツ』、今はミヒャエル・エンデの『モモ』を読んでいる。終わりが近づいている親子の読書の時間。名作はキリなくせめぎ合う。


Kさん夫妻が差し入れてくれた函館の和菓子。名残りを惜しんでいたクルミ缶の前色にそっくりなそら豆のお菓子だったから、と。嬉しい♡
今週江別蔦屋書店へお届けしたクルミ缶はどうしてるかな、と思いながらほっと一息ついた。江別へのお届けは、7月の後はしばらくお休みです。