大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

とにかく話そう


辛くなったらね、とにかく話してほしいんだ。私もそうするからさ。

すごーく色んな人の、悲鳴が聞こえてくるよ。誰もかも大変そう。
さすがに昨日会った赤ちゃんは余裕がありそうでほっとしたけれど。

8年くらい前、友達があっちへ行ってしまった。何も言わずに。
けっこう仲が良かったはずなんだけど、お互い1-2年に一度手を振り合うくらいのさっぱりした付き合いだったから、亡くなるまでの間に何があったか知らずに終わってしまった。

突然お母さんから電話がかかってきて、寺に入っていびられてのことだったと告げられた。唐突に遺品が送られてきたり、お母さんも大変なんだなと思ってそっと捨てたりしながら、移住してようやく少しだけ落ち着きそうだった暮らしが崩れないよう少し心に線を引いて過ごした。

一人の人がいなくなることの穴は、すごく大きかったよ。普段一緒にいない友達でも、心の乱れを整えるのに何年もかかった。自分に何かできることがあったんじゃないかって思っていたときは、怒りや虚しさが襲ってきたけれど、ずいぶん時が過ぎて、それも彼女の選んだ人生だったんだな、と今は落ち着いた気持ちで手を合わせられる。

本当は、近く祈れる場所があればいいんだけど、お母さんと関わる勇気も体力もないので、ここからそっと心の中で手を合わせる。私の記憶の中では、彼女はいつも少し困った顔で笑ってるし、京都の、すてきな喫茶店に全部案内してくれたし、20代にしては背伸びした茶屋でお昼を一緒に食べたり、最高の紅葉の美しい日に、山崎山荘美術館のウサギと伸びをしたり、たくさんのものを分かち合った大切な友達。

色んな事があっても私が壊れなかったのは、たぶん、泣きながらみんなに話をだらだら話させてもらったから。めっちゃかっこ悪い。子供たちが見てても、とにかく話した。死ぬよりいいじゃんって思ってるから。

それでね、そのかっこ悪さが披露できるのって、ひとつは赤ちゃんの時から、家族以外の人(おばちゃん)がお世話してくれたからかもしれないなって思う。もうひとつは、母親がかっこ悪いところを見せてくれたからなんじゃないかなって感じる。

私は全然親っぽくないけど、それもまたいいよね。子供たちは、大人はちゃんとしてるとか、親はすごいなんて幻想持たずにすむもの。子供だろうが大人だろうが、みんなが一生懸命、精一杯命を輝かせて、今地球に共存しているだけ。

Jちゃん、美しさなんていいから、私はかっこ悪くてももっとだらだら涙流しながら愚痴ってほしかったな。統一感なくてめちゃくちゃでいいから、いっぱい話してほしかったな。おしゃれじゃなくていいから、ダサい服着ててもいいからさ。

なんて、うそ。きっとそれはきれいごとで、おしゃれで美しいものが好きなJちゃんだから、みっともないところを人に見せないJちゃんだから、私は好きなのかもなとも、今は思うけれど。

だから秋の日の美しさを、私は忘れない。
そして、現存してるみんなには、かっこ悪くていいからさ、とにかく話して生きようよってやっぱり言っちゃうよ。だってあなたがいなくなったら、私が辛くなるからさ。