風邪をひいたり実家へ帰ったりであっという間に10日。
お元気ですか?
小猿を連れてふたりで高崎へ。
2歳児との旅に不安はあったものの、去年に比べたらなんと楽になったことか!
特に行きは慣れない車内をキョロキョロして案外大人しく、ほっとしました。
高崎では幾つかの用以外なるべく養生に努め、小猿の散歩に付き合う毎日。
お日様が北国より3倍くらい明るく感じました。
外は暖かく春みたいなのだけど、家の中は冬。
初日はヒーターがわからず頭からも布団をかぶりながら、北海道での借家時代を
思い出し、あれを乗り越えたんだもん!と妙な自信がむくむく。
寒いだけでなく、外は明るいし、救急車の音がするし、なかなか寝付けませんでした。
大沼の冬の夜はとても静かで、新月なら真っ暗で、薪ストーブがとても暖かいからです。
散歩中いい香りがして見上げると蠟梅が咲いていました。
懐かしい、と思う前に「花が咲いてる!」とびっくりしている自分に驚きました。
関東の冬はこんなに花が咲いてるんだっけ。
慣れた目には何事もない山茶花の花さえまぶしく映りました。
どこまでもフラットな雪のない道を散歩に出かけるのはとても楽でした。
たくさん光を浴びて、少し憂鬱だったことも明るく吹き飛びました。
東京に出ても高崎の良さはなかなかわかりませんでしたが、
大沼に来てからくっきりと、高崎という街も見えるようになりました。
それはもしかしたら、大沼に来た一番の収穫だったかもしれません。
大沼みたいな場所がふるさとだったら、それはほんとにふるさとっぽいけれど、
高崎の街は四角くて合理的すぎました。だから、故郷を語れと言われても
風景のどこにも必ず入る美しい山とからっ風のことくらいしか思い浮かびませんでした。
今でも言葉にするのは難しいけれど、大沼の人たちと話していて、発見したことがあります。
すごくすごく土地と人の密度が濃くて、保育園の同級生同士が当たり前に結婚していて
そんな話がごろごろ転がっていて、みんなが顔見知りで、という全く正しい「ふるさと」を
つきつけられながら、私にはそんなふるさとがあったかな、と若干不安に思ったとき、
1年前に亡くなった、生後3週間から私の面倒を見てくれた「おばちゃん」
(今で言う保育ママさん)の、ものすごく確かな存在が、そこにあったのです。
ご縁があって、幼少期だけでなく、その後も娘のように可愛がっていただきました。
通学路の途中にすれ違う人々のほとんどが見知らぬ人、というのが常識な
新興住宅地で育った私。そういう環境が淋しいものだという人もいるでしょう。
でも、おばちゃんのことを思ったとき、私は少しも淋しくなく、しっかりした気持ちになります。
おばちゃんは、ひとりで100人分のふるさとなんだ。
あの群馬の風と太陽に磨かれててかてかになったホッペの、お百姓出身の、白菜漬けの大好きな。
その発見は、何かものすごく強い光で、私を照らしてくれています。