大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

100年


6月、植田真さんの近年のお仕事を調べて『生きることに〇×はない』(戸井田道三/著、植田真/イラスト、鷲田清一/解説、新泉社)を手に取った。戸井田さんの文章がすばらしく、久しぶりにこんなにドキドキする本に出合った、とときめく。植田さんの絵が優しく世界観を支え、本の手触りも相まって、幸せな読書の充実感を得た。

1978年ポプラ社刊の復刊だが、古びることなく時代を超えて胸を打つ。繊細で複雑な子どもの心模様を、大人になった哲学者の言葉で綴る自伝的エッセイ。あくまでも個人の体験に基づき、地に足をつけつつ、言葉でなくては触れられない部分にそっと触れ、ノスタルジーではなく、怜悧なナイフでオペをするようにを過去を解いてゆく。

時にジャーナリズム精神に富み、自分の目から見た関東大震災時の朝鮮人虐殺を誠実に捉える。特別な人ではなく、市井の人が見た異様な光景を、誠実な向き合い方で著している。だからこそリアルだった。100年前の出来事にぞっとしながら、無念に亡くなった方のご冥福を祈る。

社会や人の深淵に触れつつ、14・15歳へ、というスタイルで書かれているため、平易な文章で読みやすく、立場は決しておごらず心地よい。

文中には「生きることに〇×はない」というフレーズには直接的な説明は出てこないが、その言葉は非常に深く心に働きかける。働きかけ続ける。

その頃私は、まさにその言葉を欲していた。いつの間にか善悪の判断ばかりで自分の人生を切り刻み、苦しみもがいていた所に、この本は柔らかく作用した。

選択は間違っていたのではないか。19年前、13年前、11年前、3年前の大きな節目の決断に、何度も疑いを投げかける。でも、そもそも間違いなんてない。子育てに関しては自然にそう思えるのに、ある分野に関してはすんなりいかなかった。


春から努めてたくさんの人と話し、暑い夏を経て、ようやく幸せがど真ん中に据えられた。この本が再び新しい息吹を得て、必要とされる時代に送り出されたことをまぶしく思う。ご縁をくださった植田さんと、出版に関わった方々にお礼が言いたい。

100年前に生きた人々の息吹をこんな風に私に運んでくれる「本」とは、なんと不思議な物だろう。そしてひとりの人間の中には、なんとたくさんの物語が入っていることだろう。