大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

美術の作用


(『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』末永幸歩、ダイヤモンド社

あなたは美術が好きですか?身近ですか?
音楽に関しては「あなたは音楽が好きですか?」ではなく「どんな音楽が好きですか?」「どんな音楽を聴きますかか?」と聞く人が多いのに、美術ではそう突っ込んだ質問は躊躇われる。美術はなぜこんなに日本で距離を置かれているんだろう。今の時代にすごく必要だと思うのに。ギャラリーの活動をしながら、少々歯がゆく思ってきた。

受け入れられやすい絵とそうでない絵、素人好みの絵と不可解な絵、多くの人は、とびきり分かりやすい絵の前でしか足を止めないことも気になった。アートが好きという人の中には、美しさだけを求める人もいる。髙濱さんと工藤さんの絵に触れるにつけ、「美術って何だろう?絵って何だろう?」という今更ながらの問いが大きく膨らんでいった。

「美術は世界を新しい目で見せてくれるもの」「私を解放してくれるもの」
でもそれで片づけてしまっては、何かもっと繊細で深い部分を味わえない気がして。何の疑問もなく自分の懐に入れていたものを、取り出して改めて不可解な目でみるような感じで眺めてみる。

そんな時に出会った本書は、美術がなぜ現代に必要なのかを実践を通して示し、わかりやすい言葉で論理的にさくっと語ってくれた。「美術はよくわからない・苦手」という人には殻を破るきっかけをくれるだろうし、美術が好きでいわゆる写実的な「上手な絵」よりも抽象画が好きだけど「それがなぜか」までは言語化できずにいる私のような美術愛好者にもぴったり。技法ではなく、概念の刷新というポイントに絞り、秘密に触れさせてくれた。

美大生に引けを取らないくらいは美術館へ足を運んできたけれど、美術史を系統だてて勉強したことはなく、持っているのは断片ばかり。「自分で感じるものを大切に味わってから構成や背景も見てより深く味わう」というやり方は、本に対しては仕事柄やってきたけれど、絵を分析するのはなんかかっこ悪いと思ったから、体感重視で知識は浅いまま来てしまった。

それにちゃんと勉強しようかと原始美術の本から始めると、あまりの膨大さに挫折してしまって。だから、13歳の息子と一緒に読めるかな、と何の気なしに図書館で手にしたこの本があまりにも今の私にジャストサイズでびっくり。本質のピンポイントを掬って易しい言葉で伝えてくれる美術史と、こんなにぴったり出会えるなんて。これまで集めてきた点と点が気持ちよく繋がる快感。

マティスの絵になぜこんなに心惹かれるのか(色の調和以外にも何か)、ピカソの絵が好きだしキュビズムの浅い知識はあるけど何かまだ自分には見え切れてないものがありそう、マルセル・デュシャンって一体何がすごいんだろう、ウォーホルのポップアートって結局何だっけ、という長年のモヤモヤを一挙に晴らし、それがしかもすべて一連の革命ポイントだったという糸付き。数珠玉がきれいなネックレスとなった。

もし単に美術の詳しい人に「私に美術史のポイント教えてください」って言ったとしてもこうはいかないのでは。どんな切り口でどんな情報量を教えるかは人それぞれだし、私がどの程度の知識がありどんなことについて知りたいのかを推し量るだけで半日かかりそう。特に、「どんなことを知りたいのか」は本人が言葉にできない場合が多い。

本がすばらしいな、と思うのは、整理して取り出された情報や意思がタイトルや装丁の衣を着て必要な読者を手招きしてくれるところだ。出会いの勘が研ぎ澄まされれば、お互いに引き合うようにして必要な本と人はぴたりと出会うことができる。ネットサーフィンではこうはいかない。

10代の子には漫画「ブルーピリオド」と合わせてお勧めしたい。息子にはさほど響かなかったようだが、かいつまんで導入を紹介しながら、こんなことにも気づいた。

私、いきなり知識から入ったのではなく、ある程度実物に触れることができたからこんなに感激が大きいのかも。それらを直に見られたことは(地方や世界へ足を運びやすい地の利を含めて)東京にいた特権なのかもしれない。実物を見て、体で味わって、そのまますぐ調べずに疑問をずっと内在させたまま時々転がしていた。

植田真さんが絵を手掛ける『はじめて考えるときのように』(野矢茂樹著、植田真絵、PHP出版社)に、ずっと疑問を心に留めて置いてある時突然来る「ヘウレーカ!」を得ることが考えるということ、と出てきたけど、ちょうどその感じだ。

すぐに調べることが良いことであるのと同じくらい、すぐに調べずに自分でずっと「考える」を経て得た「ヘウレーカ!」は素晴らしい。そして美術作品と向き合うことは、何かこの哲学的思考と近い場所で、体感を伴って得られるものである気がする。

もちろんその前に立ち、ただ向き合うだけでいい。その絵がこちらに投げかけてくるものは、思っている以上に大きくて深くて紘い。言葉にできないものをたくさん体に入れて、すっきり解釈できないものを抱えて、自分を柔らかくこねてゆく。

あきらめず、自分なりの答えを見つけに、明日も冒険に出掛けよう。


サクラソウは生けると可愛い。水草のような葉っぱは腐りにくく、水中になじむ。


窓から差し込む光の影が店で一番美しいと思う。