大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

クマ

『つきよのばんのさよなら』中川正文作、太田大八絵、福音館書店、1975年

21時過ぎ、早寝の夫を起こさないようヘッドフォンを差し込んでちひろ美術館の植田さんインタビューを見てたら、設定ミスで音がダダ漏れしてたもよう。しかも翌朝同じ設定で続きを聞いてるとき初めて気づく。子どもたちにも何も言われず放置されていた(^_^;) 音の出てないヘッドフォンで大事と思った箇所を何度か戻って聞いていた私。恥ずかしい。

今年の6月から9月は、大沼湖畔で例年にない頻度でクマ目撃情報が報告された。学校からメールが届いたり、散歩していたらパトカーが止まってわざわざ教えてくれたり。異常気象でクマの食べ物が減っているので日本全国で思いがけない出没が増えているというけれど、散歩に出られないのはつらかった。

ようやく落ち着いて、子供たちの送迎もなくなりほっとひと息。山に色々食べ物が実る時期なので、少し山の方へ行ってくれたのだといい。

写真の本は、以前高円寺の古本屋「るすばんばんするかいしゃ」で買った一冊。湖のほとりに住む父子の質素な住まいに、ある晩クマの親子がぺこり、と頭を下げ立ち去る。父ちゃんが漁に出ている晩で、たろうがひとりで留守番している時だった。

あの時のクマかな、と思い当たることがあり、翌朝帰ってきた父ちゃんが霧の立ち込める湖で、クマの親子が泳いでいくのを見たと聞き、最後に挨拶して去って行ったんだと気づく。

「たべもののある みずうみの むこうがわへ、いのちがけで わたっていきよったんやな」

クマも人も、命がけで生きている。そのことがすーっと伝わってくる、別の生物への敬意と優しさがにじみ出た父ちゃんのこのセリフが好きだ。

ファンタジーっぽさはなく、昔本当にこんなことがあったかもしれないと思わせるようなリアルさと、程よい関係でお互いそっと住み合うクマと人の様子が心を和ませる。

生きる為にはお互い可哀そうとか言っていられない。でも、必要がなければ、無益な殺し合いもないかもしれない。同じ自然界に、うまく共存して暮らしてゆけるといいのだけど。