大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

黒曜石~原始生活便り1


ある時石好きの息子2へと、近所のお兄さんYくんが黒曜石をくれた。見とれる美しさ。資料館や本では度々見ても、手にする機会はほとんどないので、私も大興奮。

ほんとに切れるんだろうか。
早速何か切ってみようよ、とキャベツを切ってもらった^^


うっわーっほんとに切れるね!とみんなで大騒ぎ。
それからずっとやってみたかったのが「肉を切る」こと。

今日とうとうその日が来た☆


うっわーっほんとに切れた!すごく楽しかった。

仕事でインスタとかした方がいいのかなーとか、頭では多くの人たちが楽しめる方に寄せようと思いつつ、どうしてもアナログ方向へ来てしまう。植田さんのチラシは、トレーシングペーパーで質感気持ち良く。SNSがんばるより、楽しいから。

真っ暗な中、息子に手を引かれて、川の音を聞きながら蛍見て、空には星がいっぱいで。そっちの方がずっと楽しいのだもの。すごくびっくりしたり、感動したり、ずっと良い感じが残ってゆくもの。生活で得た感覚を、仕事にフィードバックしていきたい。

研究発表は、クラシックだけどブログの方がしっくりくる感じ。このくらいの分かち合いで、私には(今は)ちょうどいいなぁ。先は分からないけど、激動の時代を、今日もサバイバル!

 

 

 

植田真さんの絵本届きました


8月18日からの展示に先駆けて、植田真さんの著作絵本の販売が始まっています。原画展のもととなる『りすとかえるとあめのたび』、前作『りすとかえるとかぜのうた』(いずれもBL出版)に続いて、シュルヴィッツの『よあけ』を彷彿とさせる奥深い『おやすみのあお』、nakabanさんとのコラボ作品『とおいまちのこと』『みなとまちから』(いずれも佼成出版社)が届きました。

何度か原画展をして感動するのは、絵本の出版社さんというのは、特に志が高く、親切な方が多いことです。今回も敢えて取次からまとめて取るのではなく出版社さんと直接お取引きという形で卸していただきました。リスクや手間はあるのですが、その方がきめ細やかで濃密なお取引ができるからというのが一番の理由です。

一冊一冊とても丁寧に作られていることが伝わってきます。書籍は電子化タイプもあり、内容によっては手軽な電子タイプもありかもしれませんが、絵本は断然ペーパーがお勧めです。特に植田さんの本は、紙質や見返しなど細部まですてきなものが多いですし、繊細なニュアンスカラーは印刷物ならではの味わいがあります。ぜひお手に取ってご覧ください。

nakabanさんの絵もまたすてきで、ふたりの絵と文が響き合い、遊び心のあるコラボ作品になっています。自作絵本ではなく他の人へ手渡すという形を取ったことで、植田さんの文章の美しさもまた、味わうことができました。

今回『りすとかえるのあめのたび』をうちで買っていただく方への特典はこちら↓

片面がポスター、片面が雨の日にまつわる植田さんのコラムになっています。サイズは絵本の4倍くらい。一般書店ではつかない特典です。お楽しみに。特典は現在見本だけで、配布開始は8月18日~の予定ですので、それ以前に購入された方には引き換え券をおつけしています。


<お知らせ>
7月30日(土)は都合により11時OPENです。よろしくお願いします。

 

ベリー続々


毎日収穫量を上げているブルーベリー。今日から実も販売開始☆彡
通販でもチルドでお届けできます。薪ストーブの灰だけで育てている自然栽培の無農薬ブルーベリーです。パンやハチミツと一緒にいかがですか。

始まったブルーベリーと入れ違いに、苺は採り納め。今年はようやく苗を植え、収穫まで届いて感無量です。春先に北海道新聞の取材で宣言したのが良かったのかも。他の苺より一歩遅く始まりましたが、花期が長く、7月になっても実がなっていました。


応援してくださった皆様、ありがとうございました。来年は何株になるでしょうか。
数年後にはいちごのタルトが自前になる日を夢見て^^

 

蛍・花火・モモ

ホタルブクロが咲いたので、そろそろかなと思っていたところ、昨日蛍を確認しました。これから少しずつ増えていくところかな。明日は大沼公園湖水祭りが行われ、花火が上がります。

今日行われた灯ろう流しは100年以上続く伝統行事で、慰霊祭。昨年亡くなられた新井満さんが偲ばれます。時々三月の羊にも来てくださり、著書を寄贈してくださいました。

お亡くなりになった頃、息子と『ドリトル先生と秘密の湖』を読んでいたのですが、手に取っていた巻のあとがきが新井満さんでびっくりしました。訃報の2日後くらいだったでしょうか。13冊どれも違う方があとがきを書いているのに。

繊細な雰囲気の、純粋さを持ち続けた方という印象で、著書からは平和を願うお気持ちが伝わってきます。子どもたちが通う大沼岳陽学校の校歌も作詞してくださいました。ご冥福をお祈りします。


工藤千紘さんの絵画展、折り返し地点です。左は作品集「10% HOPE」、右はミヒャエル・エンデの『モモ』(岩波書店)。少し前、図書館から借りた本を読みつくし、息子にせがまれて家にあった古い『モモ』を読みました。

6年生の夏に母から買ってもらった本で、何度読んでも色々な気づきがやってくる名作です。千紘さんの印象と、どこか似ているかもしれません。普段はみんなのおしゃべりにじっと耳を傾けているモモは、古代遺跡の廃屋に一人で住んでいます。

息子はまずそこにえっ!?と衝撃を受けていました。ぼろいダブダブの服を着て、自立した自由な暮らしをしている年齢不詳の小さな女の子。他の物語のヒロインとは一風変わった雰囲気ですが、私は他の物語の主人公の誰よりモモに親近感がわきました。

町の人たちは、一人で暮らすモモと程よい関係を保ち、悩みがあれば「モモのところへ行ってごらん」と言われるほど一目置かれています。と言って、モモは何かアドバイスをするのではなく、ひたすら静かに話を聞くのです。

モモと一緒にいると、子どもたちは面白い遊び方を思いついたり、大人は良い解決方法を思いついたりします。二十歳の頃、私が必死で手を伸ばし、人生や幸せを掴もうともがいていた時、「そこに居切る」ことが幸福のポイントなのかもしれない、という1つの解を得ました。

哲学じゃなくて好みとして、元々目の前の人がそこにいるのに電話で遠くへ持っていかれることが好きじゃないし、自分も家を出たのに誰かにつかまるのが嫌で、携帯やスマホを持ったことがありません。

大切な友達の結婚式には、敢えてカメラを持ってゆかず、全身で場を味わいました。完全に居切りたいから。レンズを除いていると、撮ることに夢中で何かを逃してしまいそうで、不器用な自分には両方は無理と感じたからです。

誰かと会っている時に、今大抵の方はブザーがなったり、話の途中で何かを調べて教えてくださったりで完全に私と全部すっぽり向き合っていただける状況は作りにくいのだけど、千紘さんをお迎えした夕べは、完璧に居切ることができた夜でした。

その幸福を、私はいつまでも忘れないでしょう。大きく表情を変えるわけでもなく、穏やかにそこにいて、でもしっかりその場に耳を澄ましてくださっている。モモを読みながら、お会いしたときの千紘さんを思い出しました。

一緒にいると、気づきのようなものが流星のようにやってくるのです。モモのことが大好きなジロラモや子どもたちもこんな風に感じたのかもしれない、とその時の体験がモモの世界へ還ってきます。

じっと聞いているだけではなく、モモは自分の頭でしっかり考え、判断し、淡々と実行します。勇気があるだけではなく、恐れや怯えもします。弱さを隠さずにやるべきことをやるということは、何と静かに心を打つものでしょう。

「おまえは星の声を聞いたね。こわがってはいけないよ。」
マイスター・ホラのこの言葉は、私が移住後ひとりで大変なことに取り組むとき、何度となく脳裏に浮かんで励ましをくれました。

夜のしじまのもっと奥の方、無意識の奥の奥にある場所に、千紘さんも行ったのでしょうか。

外側の世界が非常にザワザワしている昨今ですが、そんな時こそ、心の中にある静かな場所へ降りてゆき、壮大な無音のようなさざめきに触れて、生きる力をもらってきたいものです。

 

宝石たち


今日のベリーのタルトです!美しい♡


庭ではカシス・レッドカランツ・ラズベリーに続き、グーズベリーが色づいています。



こぐま農園(コマ農園改め)のブルーベリーは、数日の間に色の変化が。


トロール中(7月17日)


もう色が変わってるのあるよ、と私が採りたそうにすると、「うーん、もう少しかな。裏までしっかり色が変わらないとだめなんだよ」と既にプロ感漂う息子2。


(7月21日)

ベリーのタルトの自家栽培ベリー率がますますアップし、大変充実を感じる今年です。
タルトは店舗のみ、8月上旬ごろまでの予定です。通販の方は12月のフルーツケーキやシュトーレンに成果が集約されますので、少しお待ちください。

 

 

ラズベリー豊作☆彡


暑中お見舞い申し上げます☆彡 平和で穏やかな日常が守られますように

ただでさえ疲れが出やすい季節ですが、今年はいつも以上に暗いニュースが続き、ともすれば心が曇りがちですね。少しメディアを消して、外へ出てみませんか。植物や虫たちの世界は大賑わい。休むことなく命を輝かせています。

コロナ以降ますます静かになった大沼ですが、「雨の日は(見どころが)何もない」と言われることがあるほど穏やかだからこその素朴な自然がすばらしいと思います。雨に濡れた緑を見ながら、美しい鳥の声に耳を傾けると、人間が小さく自然の中に消えてゆくような不思議な感覚が得られます。

立ち止まって、小さなものをじっと見てみるのがお勧め。蜂がどんな風に動き回っているか、鳥がどんな風に木から木へ移っているか、ぼーっと見てみるだけでいいんです。草花だとこの時期茂っているところを見ると、つぼみから花、実から種と変化が一気に見られるものがあり、この後こうなってこうなるのかな、と辿ると発見が多いですよ。

庭ではベリーが次々実り、今年は特にラズベリーが豊作。


ボリュームがあり、ひときわゴージャスなラズベリーですが、未成熟の実は硬くてちょっとグロテスク。枯れたつぼみのようだったのが、ひとつひとつの粒が膨らんでゆき、茶色から白緑へ、さらに黄緑から赤へ変わってゆくダイナミックな変化が面白いです。


最後に塗りつぶしたような赤がひとつひとつ透明感を帯び、透き通った宝石のように輝いたら採り頃。熟すとポロっと採れるので手に心地よく、食べ応えもある楽しいベリーです。葉もお茶になり、女性の体に良い効果があると言われています。


今年のベリーのタルトには、ラズベリーがいつもより多めに使われています^^
この後は桑の実が入ってきます。年々自家栽培果実率が上がっているベリーのタルト。
ぜひ旬の味をお楽しみください☆(例年7月末か8月上旬くらいまで)

 

 

剥がれ落ちるもの・今日が良い日だと信じられるように


先日美術の先生が展示をご覧になって、「これは私にはこう見えます。芹沢さんは何に見えますか?」と分かち合いを促してくださった時に、私はあまりにも千紘さんの絵を言葉にできなくてびっくりした。

千紘さんの絵を、もやっとした塊で受け取っていて、それに不足を感じていなかったから、敢えて言語化することも偲ばれて。だって、言葉にしたら零れ落ちてしまう気がするから。私には余すところなく表す言葉が、見つかる気がしない。

でも、数週間を経てしっくり絵の溶け込んだ店内に佇み、言葉にして、もっと皆さんに伝える必要があるのかも、という気持ちがふつふつと沸きあがってきた。静かに私がここで感じて受け取っているばかりでは勿体ないから。

分かりやすい絵本の原画と違って、千紘さんや髙濱さんら本物の画家の絵というのは、たぶん絵を見慣れている人以外には少し戸惑いを与える。私はその揺らぎが好きだけど、「この絵はどんな風に見ればいいのかな」というのが見慣れていない大人が思い浮かべる疑問ではないかと思う。

もちろんどんな風に感じても自由ですよ、と美術の先生なら言うだろう。細かい技法を説明することで、「なるほど」と技術に感心させることもできるだろうし、画家の真意を少し付け足して、「へぇ~」と鑑賞するのも良いかもしれない。

あるいは専門のギャラリーであれば、古今東西と現代の美術の流れを意識しながら、絵についてしっかりした知識と文脈で千紘さんの絵の価値を語り、見る方は「ほほ~」とうなずくかもしれない。

でも、私は絵の前には、ただ立つだけでいいと思っている。頭は空っぽでOK。体が、自然に反応することもあるし、無意識の領域が何かを受け取って、それは絵の前から立ち去った後にも効果を放つ。

科学的に証明できないのだけど、私はそんな絵の魔法を見て来たし実感してきた。最初に自分の意識外のものが噴出してきたのは、20代で母に連れて行ってもらった伊勢崎市の大川美術館だった。

静かな館内で、大きな絵と私はふたりきりにしてもらえた。ゆっくり佇むと、突然意味の分からない現象が起こった。なぜか、私は涙をだらだら流し、心臓がバクバクしている。これが、この絵が引き起こしている何かなの?

他の絵をひとつずつ見て、その反応が起こるのは松本俊介や難波田史男といった夭折の画家であることが確かめられた。その時の衝撃が忘れられなくて、私はそれ以降頭で絵を見るのを止めた。体でまず、向き合う。文字はそれから。自分が体感した後で、作者について知ったり、知りたければ背景も覗いてゆく。

だから、体系的に美術を語ることはできない。だけど、誰よりも絵の効用を身で知っている。


今や、絵はあまりにも、専門家にゆだねられてしまった(音楽も同じく)。
本来は、絵も音楽も言葉も、呪い(まじない)と一続きで人々の生活と共にあったもの、祈りと共にあったもの。私たちはそれを取り戻せるんだよ。

千紘さんはたぶん、そんな私の気持ちを分かってここへ絵を貸して下さったのではないかと思う。もちろん、大沼の自然の中に絵を置いてみようというチャレンジもあったのだろうけれど。

絵は語られなくてもいい。ただ、そこへ身を置いてみて。
千紘さんの絵が届き、箱を開封した時、色々なものが剥がれ落ちていった。
それは力強い作用だった。