大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

蛍・花火・モモ

ホタルブクロが咲いたので、そろそろかなと思っていたところ、昨日蛍を確認しました。これから少しずつ増えていくところかな。明日は大沼公園湖水祭りが行われ、花火が上がります。

今日行われた灯ろう流しは100年以上続く伝統行事で、慰霊祭。昨年亡くなられた新井満さんが偲ばれます。時々三月の羊にも来てくださり、著書を寄贈してくださいました。

お亡くなりになった頃、息子と『ドリトル先生と秘密の湖』を読んでいたのですが、手に取っていた巻のあとがきが新井満さんでびっくりしました。訃報の2日後くらいだったでしょうか。13冊どれも違う方があとがきを書いているのに。

繊細な雰囲気の、純粋さを持ち続けた方という印象で、著書からは平和を願うお気持ちが伝わってきます。子どもたちが通う大沼岳陽学校の校歌も作詞してくださいました。ご冥福をお祈りします。


工藤千紘さんの絵画展、折り返し地点です。左は作品集「10% HOPE」、右はミヒャエル・エンデの『モモ』(岩波書店)。少し前、図書館から借りた本を読みつくし、息子にせがまれて家にあった古い『モモ』を読みました。

6年生の夏に母から買ってもらった本で、何度読んでも色々な気づきがやってくる名作です。千紘さんの印象と、どこか似ているかもしれません。普段はみんなのおしゃべりにじっと耳を傾けているモモは、古代遺跡の廃屋に一人で住んでいます。

息子はまずそこにえっ!?と衝撃を受けていました。ぼろいダブダブの服を着て、自立した自由な暮らしをしている年齢不詳の小さな女の子。他の物語のヒロインとは一風変わった雰囲気ですが、私は他の物語の主人公の誰よりモモに親近感がわきました。

町の人たちは、一人で暮らすモモと程よい関係を保ち、悩みがあれば「モモのところへ行ってごらん」と言われるほど一目置かれています。と言って、モモは何かアドバイスをするのではなく、ひたすら静かに話を聞くのです。

モモと一緒にいると、子どもたちは面白い遊び方を思いついたり、大人は良い解決方法を思いついたりします。二十歳の頃、私が必死で手を伸ばし、人生や幸せを掴もうともがいていた時、「そこに居切る」ことが幸福のポイントなのかもしれない、という1つの解を得ました。

哲学じゃなくて好みとして、元々目の前の人がそこにいるのに電話で遠くへ持っていかれることが好きじゃないし、自分も家を出たのに誰かにつかまるのが嫌で、携帯やスマホを持ったことがありません。

大切な友達の結婚式には、敢えてカメラを持ってゆかず、全身で場を味わいました。完全に居切りたいから。レンズを除いていると、撮ることに夢中で何かを逃してしまいそうで、不器用な自分には両方は無理と感じたからです。

誰かと会っている時に、今大抵の方はブザーがなったり、話の途中で何かを調べて教えてくださったりで完全に私と全部すっぽり向き合っていただける状況は作りにくいのだけど、千紘さんをお迎えした夕べは、完璧に居切ることができた夜でした。

その幸福を、私はいつまでも忘れないでしょう。大きく表情を変えるわけでもなく、穏やかにそこにいて、でもしっかりその場に耳を澄ましてくださっている。モモを読みながら、お会いしたときの千紘さんを思い出しました。

一緒にいると、気づきのようなものが流星のようにやってくるのです。モモのことが大好きなジロラモや子どもたちもこんな風に感じたのかもしれない、とその時の体験がモモの世界へ還ってきます。

じっと聞いているだけではなく、モモは自分の頭でしっかり考え、判断し、淡々と実行します。勇気があるだけではなく、恐れや怯えもします。弱さを隠さずにやるべきことをやるということは、何と静かに心を打つものでしょう。

「おまえは星の声を聞いたね。こわがってはいけないよ。」
マイスター・ホラのこの言葉は、私が移住後ひとりで大変なことに取り組むとき、何度となく脳裏に浮かんで励ましをくれました。

夜のしじまのもっと奥の方、無意識の奥の奥にある場所に、千紘さんも行ったのでしょうか。

外側の世界が非常にザワザワしている昨今ですが、そんな時こそ、心の中にある静かな場所へ降りてゆき、壮大な無音のようなさざめきに触れて、生きる力をもらってきたいものです。