大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

剥がれ落ちるもの・今日が良い日だと信じられるように


先日美術の先生が展示をご覧になって、「これは私にはこう見えます。芹沢さんは何に見えますか?」と分かち合いを促してくださった時に、私はあまりにも千紘さんの絵を言葉にできなくてびっくりした。

千紘さんの絵を、もやっとした塊で受け取っていて、それに不足を感じていなかったから、敢えて言語化することも偲ばれて。だって、言葉にしたら零れ落ちてしまう気がするから。私には余すところなく表す言葉が、見つかる気がしない。

でも、数週間を経てしっくり絵の溶け込んだ店内に佇み、言葉にして、もっと皆さんに伝える必要があるのかも、という気持ちがふつふつと沸きあがってきた。静かに私がここで感じて受け取っているばかりでは勿体ないから。

分かりやすい絵本の原画と違って、千紘さんや髙濱さんら本物の画家の絵というのは、たぶん絵を見慣れている人以外には少し戸惑いを与える。私はその揺らぎが好きだけど、「この絵はどんな風に見ればいいのかな」というのが見慣れていない大人が思い浮かべる疑問ではないかと思う。

もちろんどんな風に感じても自由ですよ、と美術の先生なら言うだろう。細かい技法を説明することで、「なるほど」と技術に感心させることもできるだろうし、画家の真意を少し付け足して、「へぇ~」と鑑賞するのも良いかもしれない。

あるいは専門のギャラリーであれば、古今東西と現代の美術の流れを意識しながら、絵についてしっかりした知識と文脈で千紘さんの絵の価値を語り、見る方は「ほほ~」とうなずくかもしれない。

でも、私は絵の前には、ただ立つだけでいいと思っている。頭は空っぽでOK。体が、自然に反応することもあるし、無意識の領域が何かを受け取って、それは絵の前から立ち去った後にも効果を放つ。

科学的に証明できないのだけど、私はそんな絵の魔法を見て来たし実感してきた。最初に自分の意識外のものが噴出してきたのは、20代で母に連れて行ってもらった伊勢崎市の大川美術館だった。

静かな館内で、大きな絵と私はふたりきりにしてもらえた。ゆっくり佇むと、突然意味の分からない現象が起こった。なぜか、私は涙をだらだら流し、心臓がバクバクしている。これが、この絵が引き起こしている何かなの?

他の絵をひとつずつ見て、その反応が起こるのは松本俊介や難波田史男といった夭折の画家であることが確かめられた。その時の衝撃が忘れられなくて、私はそれ以降頭で絵を見るのを止めた。体でまず、向き合う。文字はそれから。自分が体感した後で、作者について知ったり、知りたければ背景も覗いてゆく。

だから、体系的に美術を語ることはできない。だけど、誰よりも絵の効用を身で知っている。


今や、絵はあまりにも、専門家にゆだねられてしまった(音楽も同じく)。
本来は、絵も音楽も言葉も、呪い(まじない)と一続きで人々の生活と共にあったもの、祈りと共にあったもの。私たちはそれを取り戻せるんだよ。

千紘さんはたぶん、そんな私の気持ちを分かってここへ絵を貸して下さったのではないかと思う。もちろん、大沼の自然の中に絵を置いてみようというチャレンジもあったのだろうけれど。

絵は語られなくてもいい。ただ、そこへ身を置いてみて。
千紘さんの絵が届き、箱を開封した時、色々なものが剥がれ落ちていった。
それは力強い作用だった。