大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

コロボックル物語を読み継ぐ


子どもに本を読む。
抱っこもできない体力のない自分が唯一できること。続けていること。

2人目の息子が5歳になり、かなり長く難しい物語も楽しめるようになった。
去年はミヒャエル・エンデの「ジム・ボタンの冒険」や、「ナルニア国物語」など。
私ひとりでは挫折してしまいそうな一見難解な物語も、子どもと読むと立体的に
立ち上がってくるのが面白い(声に出して読む効果もあるかな)。

今年は佐藤さとるさんの「コロボックル物語」に挑戦。
子どもの頃から大好きな、特別な作品だ。でも、今の子どもたちに入り込めるかしら。
自分で読むなら5・6年生とされている本だけど、今小学生の子どもたちが読む場合は
現実の場面での差が大きく、かえって小さいうちに聞かせる方がいいような気がした。

実家に置いてあった古い短編集『コロボックルのトコちゃん』(初めて買った文庫本)
を帰りの電車で読むと、息子2はコロボックルにかなり興味を持ったようだった。
お話もよく聞いていていたので、そろそろ行けるかな、とトライしてみた。
今シリーズ2冊目の『豆つぶほどの小さないぬ』を読み終えるところ。

本を読む力、聞く力は、たぶん離乳食でつく噛む力と同じで徐々に鍛えられていくもの。
噛めない子でも味で食べちゃうみたいに、筋がしっかりしてとびきり面白いストーリー
ならいくらでもいけたりする。

ダールのお話はその典型で、『おばけ桃が行く』のストーリーを寝物語に聞かせたら
3歳児にも大ヒット。長編物語も噛み砕いてあげれば小さい子でも楽しめるとわかり、
その頃から私が一人では読めなかった外国の長いお話にも挑戦するようになった。

なるべく作者が苦心して選んだ言葉通りに読むようにしているけれど、
最初の頃は一部を小さい子でもわかる言葉に置き換えたり、入り込むまでは少しまとめて
話したり展開を持たせるよう工夫した。

ダールや「ジム・ボタンの冒険」「ナルニア国」はそのやり方がとても合っていて、
「お話の筋がしっかりしているってこういうことか」と勉強になった。

ところが「コロボックル物語」は要約が難しい。
風景やお天気、主人公が心の中で思ったことなどが詳細に描かれていて、
こはちょっと読み飛ばしては勿体ないような気がするし、かと言って、全部読んで
いたのでは、小さい子には難しい印象になってしまうからだ。

4年生の息子1は途中でちょっと気が散ってしまい遠のいていった。
けれど苦心して少しだけはしょったり、昔っぽい言い回しを現代風に置き換えたり
しているうちに、息子2の方がすっかりはまって、本を読んでいない時でも
コロボックルの話をするようになった。

こういう世界を共有できることはすばらしいなぁと思う。ふだんの生活の中だと、
母と息子は「叱る・叱られる」の関係になりがちだから、生活と全然関係ない
ファンタジーの世界を共有することはそのクッションにもなる。
「あぁいうところにコロボックルがいる?」と生活の中で話が弾む。

小山をつぶすことがコロボックルたちの住処をなくすことになるかもしれない、
という理解は、私が子どもたちにぜひ実社会で生きていく芯にして欲しいこと。
ファンタジーだって笑わないで欲しい。女子供の夢物語ではない。
あたり前のことだけれど、ここに生きているのは人間だけじゃない。
人間の価値だけで生きることのなんと息苦しいことだろう。

心に種を蒔くように、子どもの中にそっと種をまく。
昨年亡くなられた佐藤さとるさんへの敬意と感謝を持ちながら、本をとる。
自然観だけでなく、気の長い計画を練ること、実現の為に実行すること、
夢を実現することなど、この本から沢山のすばらしい種をいただいた。
村上勉さんの絵もすばらしい。

大人が読んでもとても読み応えがあると思うので、気になった方はぜひお手に取って
いただきたい。買うのをためらったら大抵の図書館にあるはず。それぞれの話は
独立しているので、1冊だけでも楽しめる。

1巻の始まりは戦前の少年せいたかさんが主人公で、終戦の後「厚い雲がはれる
ようにぽっかりと」子どもの頃夢中になった「小山」のことを思い出す場面では、
大人になった私は涙が出た。モチの木の皮をはいで本当にとりもちができるのか、
今度子どもたちと確かめてみようと思う。

だれも知らない小さな国』『豆つぶほどの小さないぬ佐藤さとる講談社
(シリーズ5巻+別巻1冊がある)