大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

命を潤す水のように

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ずっしり手のかかる息子2もいよいよ卒園。数年前から寝る前に読んでいた
『日本の昔話』(小沢俊夫再話、赤羽末吉画、福音館書店)全5巻を読み終えました。

1冊に300話入っているので1500話。日本各地で語られてきた昔話を、資料だけでなく
実際に地方の語り手を訪ね歩き、口伝えを前提に小沢さんが苦心して「共通語」で書き起こした再話の数々。それを更に編集部と現代の語り手や図書館員なども加わり総チェック。目だけでなく、語ったものを耳でチェックする作業を重ね、語る時の呼吸のリズムを大切にしながら言葉遣いはもちろんのこと、句読点1つに至るまで選び抜かれ、洗練された渾身の作です。

見た目地味で挿絵も控えめなこの本を、西荻時代に編集者のHさんからおすすめされても、ひとりで読みこなすことはできませんでした。
「ねぇおはなしして」とおっぱいを欲しがる赤子ように日々せがむ息子たちがいなかったら、1500話を終いまで読み通すことはできなかったでしょう。
口に出して読む、耳から聴くという体験を通じて味わったこの5冊の本には、見た目からは想像もつかない膨大なものが入っています。

1970年代に満ち足りた日本に生まれた私は、物質的には満たされても、何か決定的に時代に失われたものを感じながら、根っこがないような不安定さを抱えて生きてきました。
それはこれだったのかもしれない、と全部を読み終えて思います。
会ったことのない人々の沢山の「何か」を、確かに受け取ることができました。

囲炉裏端でおじいちゃんおばあちゃんに寝る前にお話をしてもらえる環境は現代になくても、小沢さんと福音館書店が命がけで作ってくれたこの本があります。ありがたいなぁと心から思います。命を潤す水のように、物語が体の根っこへ行き渡り、どっしりしてゆくのを感じます。

人が自分の体で体験できることはほんのちょっと。現実の世界で出会える人にも限りがあります。
だから物語が必要なのでしょう。物語ははるかかなたの時代から現代までの全てを連れて来てくれるのです。

ニュースで心が痛むたくさんの出来事を見るにつけ、例えその人が大きくなっていても、どうかこのような物語と温かいご飯がその人に届きますように、と祈らずにいられません。

明日は春分ですね。お墓参りには行けないけれど、子どもたちとぼたもちを作って
遠くからお参りしようと思います。