大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

夏に読んだ本

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六花亭の花の包み紙の絵を描いている坂本直行さんの十勝開拓時代の記『開墾の記』(初版は昭和17年)を完読しました。現在復刻版も絶版になっているところ、近所のYくんが貸してくれました。

右は東京時代に古本市で買ったもう少しライトなエゾの植物紹介書。こちらは喫茶ねこひでお読みいただけます。気楽な感じで開いていたこの本も、『開墾の記』での苦労話を読んだ後では違って見えるかも。

以前から坂本さんのイラストのファンで、西荻の店に右の本を置いていたら帯広出身の方から「北海道出身なんですか?」と声を掛けられたこともあります。でも、浅いファンなのでいい絵だな、と眺めているだけでした。

『開墾の記』は昭和11年に十勝の原野に入植してから5年間の様子がつぶさに語られています。実際に開拓をするような人がこのように生活の様子を事細かに記録することはほとんどなかったであろう中で、大変貴重な記録です。最後にはロウソクと石油がなく、もはや書くことができない、と記してあることからもどれほどの暮らしか偲ばれるでしょうか。

語り口は時代もあってやや硬め、難しい漢字が入っていたり、決してとっつき易いものではありません。持ち主のYくんさえ、全部は読んでないと言っていました。私が読み通せたのは、移住してから5年の開墾に近い体験があったからだと思います。Yくんにはまだ「憧れ」と映る壮絶な暮らしの鱗片を、私はリアルに感じることができたのです。

読み始めてすぐに、私こういう人を知ってる!奥さんはさぞかしご苦労されたことだろうなと思いました^^信念を持って、自分のやり方で荒くれた土地を切り開いてゆこうとするひとりの人、手探りの農業・手探りの酪農・炭焼き。布団に雪が降り積もるほどの暮らしを私は体験しなかったけれど、それが5だとしたら2くらいの経験はしましたから。インクが凍るほどではなかったけれど、供えた花が凍っていつまでも開かないとか、寒くて寝るしかないという体験を知っています。

飼った馬が流産したり、なけなしの牛が綱に絡まって死んだり、天候に左右されて不作が続き、すべてが後手後手になってしまったり、雪のひどい年に厩が埋まって掘り出しに行くと雪が積もり過ぎて馬が天井まで持ち上がり、天井に敷いていたそば殻を食べてしまった為に天井に穴が開いても直す材料がなかったり、とにかくひっちゃかめっちゃかなのですが、そのような中でも志を失うことなく、希望を失うことなく、自然の風景に心打たれ、癒されている坂本さん。そのような中から生まれた絵だからあれほどの力強さと親しみを持っていたのです。

奥さんの初産には吹雪に坂本さんが不在で、寝床に一尺も雪の吹き溜まりができたところにストーブを焚いたら天井の雪が溶けてボタボタ落ちてきたとか、その時生まれた長男が大きくなって高熱を出し家族4人必死で汽車に乗って町医者へかかり、治療を終えてすぐ引き返そうとすると雪で汽車が何日も止まって今度は次男が肺炎とか、汽車の中でおしめを洗濯するとか、「ちょっと!」と思わず突っ込みたくなるほど、本当に奥さんが大変だったろうなぁ!!と他人ごとではなく偲ばれるのですが、今ここに住んでいる私には家族の息吹が大変身近に感じられ、最後まで読み通すことができました。

壮絶と言っても悲惨さはなく、あっけらかんとしたどこかのんきな語り口で、とにかく十勝の冬や夏の霧など自然の厳しさと闘っている様子や当時の農民や町の様子などがわかり、興味深かったです。

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こちらは平塚武二さんの『馬ぬすびと』『絵本玉虫厨子の物語』。坂本さんと何か通じる気概を感じると思っていたら、奇しくも同世代でした。(平塚さん1904年生まれ、坂本さん1906年生まれ)

3月に夢中で読んだ佐藤さとるさんの自伝的小説『コロボックルに出会うまで』(偕成社)で、若きサットル青年が横浜の平塚さんのもとをおそるおそる訪ね師事するエピソードが出てきて、心惹かれる横顔から無性に読みたくなった平塚作品です。硬派ながら臨場感にあふれ、時代を超えて人間というものに迫る会心作。地味めなので手に取りがたいですが、少しくだいて読むと子どもも夢中になりました。こちらもいずれ喫茶に並べます(馬ぬすびとはYくんへお礼に貸す予定)。平塚先生かっこいいですよ。


『開墾の記 復刻版』坂本直行著、北海道新聞(1992) 
『わたしの草と木の絵本』坂本直行著、茗渓堂 (1976)
『馬ぬすびと』平塚武二作、太田大八画、福音館書店(1968)
『絵本玉虫厨子の物語』平塚武二作、太田大八画、童心社(1980)