大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

夏に読んだ本・つづき

 f:id:nekohi3:20190828143111j:plain

坂本直行さんの『開墾の記』について、読後間もなかったのと夜中に書いていたために、大切なことを書きそびれた気がします。

苦労話大会ではなく、それを記すことによって伝えたいこと。全部読み終えた後の爽やかさや静かな感動は、ただの無駄な苦労では味わえないでしょう。無計画なわけではなく、当時の開墾の状況を少しでも伝えたい・改善したいという気持ち、志を持って農業をすることで、苦労の絶えない農業に安定をもたらすことができるのではという考察と実験の連続でした。

普通の人なら、苦労の最中にそれをあからさまに書くことはできません。客観性を欠けばただの愚痴になり、書くには少しだけゆとりが必要だからです。私も移住について後から来る人や遠くの方へお知らせする為に発見したことをできるだけ書くようにしてきましたが、本当に辛い最中にいる時には、どうしても書けないこともありました。書いたらみじめな気持ちに引きずり込まれてしまうような気がしたから。ですから、坂本さんが苦労を苦労と思わず、全て実験と実践と捉えていたことがよくわかります。もちろん若さもあったでしょう。

それからまた、そうした暮らしの中で、植物がどれだけの励ましをくれるかも実感します。農業を生業にする場合はほんのわずかな気候の変化に敏感でなければなりませんから、もとよりセンサーは細やかな植物の変化を捉えるでしょう。ただ、それを「美しい」と思うかどうかは感性で、こればかりは農民だからというわけにはいきません。自然の中にあるものを美しいと感じる心、これがあればこそ、いわゆる不便と言われる場所にも住めるのでしょう。

農業をしていれば、どんなに辛く実りが少なくてもまた春が来る。闘志を燃やすことができる。そのこともまた、心に染みました。今の日本は「また春が巡ってくる」という視点が実感しにくい社会ですが、辛い今が通過点であるという視座、次の春にはこれをやろうという見通しを持てるという自然のサイクルはなんとすばらしいことでしょう。

数えきれないほどの生命が生まれたり死んだりを繰り返すただ中に身を置いていると、朽ちたりしぼんだりすることもまた自然の一部で、いつまでも拡大してゆくとか収穫し続けるということが幻想だと気づくことができます。収縮を繰り返し、めぐりながら変化してゆく、そちらが当たり前なのですよね。とりとめもないし書くと平凡なことですが、補足でした。