もみのきぶんこのKさんから、息子1の合格祝いにと、以前英国で買ったという『ライ麦畑でつかまえて』のペーパーバッグをいただいた。
私もペラペラと開いてみて、扉の言葉にハッと立ち止まる。旧訳版を読んだときには気づかなかったな。
村上訳に興味はあったけど、主人公の独白で内面が語られ続け、決して読みやすい内容ではなかったので、いつか、という程度に思っていたのが、これを見て手に取りたくなった。
そうなんだ。お母さんへ、なんだね。
自分の中の、はぐれた心持ちやかつて感じたことのある「大人って…」というイラついた部分で前回読んでいたけれど、こうなるとまた別の感触。
もどかしい、伝えたい言葉、わかってほしい自分を、うまく伝えられない気持ち、愛とは裏腹に、すれ違う現実。少年から青年になりかかっている微妙な年頃の一人の男の子。未来に絶望とほんの少しの希望を持ちながら、大人社会の小さな染みばかり見つけてしまう潔癖な心。センシティブな心が見つけてしまうそれらが、無数のガラスのかけらのように自分側へ降りかかってくる苛立ち。
Kさんから村上春樹さんの新訳版(白水社、2003年)もお借りして読み始めたところ、するりするりと喉越しがいい言葉が並ぶのであまり苦も無く進んでいける。前回1つ1つをかみ砕きながら、リズムがノってくるまで耐えていたあれは何だったんだろう。空気感がまるで違う。
「15歳になったら月に返すつもりで」育ててきた息子1、まもなく15歳。
ねこひ日記の読者やお客さん、たくさんの人に見守っていただいた。私が弱いから、たくさんの方にもろ手を挙げて助けてもらって、たぶん普通よりも多くの手に抱かれたと思う。無事月へ届くよう、あとは打ち上げ準備。
息子1の撮った朝の風景