大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

戦争の体験記事を読んでいて、特に胸に迫るのは
当時子どもだった方々の記事。
率直に感じたことや辛さを綴っていること、ようやく
話せるようになったことに深く何かを刻み付けられる。

国は「おにぎりひとつくれなかった」という当時少女だった方の
苦しみ。生き残ってもまた辛い経験を余儀なくする戦争。
一体誰が得をしているのか、聞いてみたい。
大人になったのに、まだ戦争がある。

『弁当』 山之口獏

改札口の行列のなかにしゃがんでいて
弁当ひらいている眼の前に
青んぶくれの顔が立ち止まった
ごはんの粒々にくるまった
一本の薩摩芋を彼にあたえて
食べかけているところへまた立ち止まった
戦災孤児か欠食児童なのか
霜降りの服がふたりなのだ
一本づつあたえるとひったくるようにして埃のなかへ消え失せた
食べかけるとまた止まった
青んぶくれの先程のだが
見合わせたはずみに目礼を落としてそのまま彼はそれてしまった
そこで僕はいそいで
残りのものを食べおわった
思えばたがいに素直すぎて
みすぼらしくなったのか
敗戦国の弁当そのものが
ありのままでも食い足りないのだが