震災について、3年経っても語る言葉はみつからない。
映像を見ると気持ちが悪くなり、どうしても見ていられない。
お見舞いを申し上げますと言えるほどに遠い立場になれず、
かと言って直接被災したわけではない。
東北を親しく思っているのに、
愛していた三陸の海産物を選べない。
原発については、生活や仕事を通してやれることをやっていく
というスタンスはあの前後で変わらないけれど、
何かが崩れてしまったような徒労感。
憤りながら、少し無理をして生活を削ってしまったのかもしれない。
それに気づいて、逆にもう少し自分の正直な気持ちや心地よさを
大切にしようと思うようになった。
20代に入った頃、友人の住んでいた東海村で原発事故があった。
電話が通じなくなった。
それは、私にリアルに故郷がなくなる仮想を抱かせてくれた。
高木仁三郎さんの本が、飲み込みのわるい私にもわかる言葉で
原発の危険性を教えてくれた。
震災後、具体的にできることをして気をはらそうと、
少しだけボランティア活動に参加させてもらった。
絵本を被災地に送る作業をしていたら、
ふと手とった絵本にあっと思う。
高木さんが描いた絵本だった。
ぼくからみると―どきどきしぜん (かがくのとも傑作集 どきどきしぜん)
- 作者: 高木仁三郎,片山健
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1995/03/10
- メディア: 大型本
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色んな視点を授けてくれる本だった。
描かれた経緯は知らないが、そこに込められた祈りが伝わってじんとした。
片山さんの絵も手伝って、何か明るく広々とした気持ちになった。怒りという感情は、自分からみた一方的な見解から起こるという。
対立する立場ではなく、全てのことについて、
三方良しの答えを見つけていくこと。
それこそ人の頭の使いどころだろう。
3年前の震災で、ものすごく色んな立場の方が生まれ、
それに関して、言葉を共有することがとても難しくなったのではないかと
考える。その微細な見えない物を、せめて意識していようと思う。釜石のお義父さん、亡くなられた全ての方々のご冥福を
心からお祈りします。
形を変えながら進む日本の未来が良いものであることを信じます。