大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

more slowly


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好きな雑草をギリギリまで近寄って撮ることはできなくなってしまったけれど、今の私だからこそ撮れるものがある。新しい目を授けてもらったので、その新しさが曇らないように。

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歩いて行ける半径300mくらいの範囲を今日も散歩。じわじわと春。
とうとう蓬が柔らかく美味しそうな芽を出す。5月になればごわごわになってくるので、今のうちにお団子を作ろう。

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スノードロップが終わりに近づき、辺りでは水芭蕉が咲き始めた。去年と同じく、雪が少なかったので水芭蕉が貧相。水がたっぷりないと、大きな株ができないので花ぶりも変わる。

       f:id:nekohi3:20200414084354j:plain敷地の奥にあるわさび

奥の道に入れるのは今の季節だけ。G.W.を過ぎると日に日に草が伸び、夏にはジャングルになるから。落ち葉の敷き詰められたふわっとした土の上を歩く。

毎日少しずつ、仕事をしているけれど、今の私は「急ぐ」ということができない。これまではお客さんを待たせないよう「できるだけ早く」と自分に言い聞かせてすごく自分を急がせてやってきたけれど、今は「ゆっくり焦らず」と自分に言い聞かせている。それが80歳まで店に立つため私の体に必要なことだから。

H大病院の中で、手術をするまではいつもの癖でせかせか歩いていた。2回手術をして、それはそれは気が遠くなるくらいゆっくりと日常の動作をすることになって、廊下で人とぶつからないよう、周りを見ながらそーっとそーっと歩く。角で立ち止まり、向こうからひとり、もう一つの角にまたひとり、やっぱり立ち止まって譲り合う人がいる。微笑む。

「あら~美しい譲り合いですね」とスタッフの方が笑う。とっても居心地のいい場所だなぁと思う。半分は自分のために、立ち止まる。ぶつかって倒れることができないから。そんな状態になってようやく、私は今までのせかせか歩きが、こうした人々を押しのけていたかもしれない可能性に気づく。札幌駅でもものすごい勢いで、私は歩いていたなぁ。色々な事情の人がいることを忘れて。

お店をやるのに早く動作できないって致命的じゃないかしら…そんな不安が、少し消えた。自分がペースを落とすことで、ほっとする人がいるかもしれない、そう実感できたから。社会のペースは加速しすぎて、すでに私は振り落とされそうだった。人の時間を奪うようなやり方はよくないし、大変な思いをしている方々もいるのだからこの状態が続けばいいとかは全く思わないけれど、少なくとも私は、今社会がゆっくりペースになったことに関して、少しほっとしている。

人類の活動が減って、世界の二酸化炭素排出量は半減したとか。
「もっとゆっくり」─── それでも生きていけるやり方があるはずで、それはもしかしたら思ってるよりもたくさんの人を楽にするのではないかな、とぼんやり考える。迷惑を掛けるのではなく、時間を奪うのではなく、何かもう少し豊かなものを分かち合える「ゆっくり」がある。H大病院でのひとときは、頭ではなく実感として私に教えてくれた。

人の居心地は何によって作られるのか。「なんかいいなぁ」というくつろぎや居心地の良さは、どこから生まれるのか。「食べていける」前提であれば、みんな本当はそっちの方を求めているのではないかな。そういうものを分かち合える場所に、お店をしていきたい。一刻も早く事態が収束するよう祈りつつ、これを機に変えていけること、今だからこそ見える大切なことに目を凝らして。