大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

秋の月とドリトル先生

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昨日は中秋の名月でしたね。皆さんのいるところからは月が見えましたか。大沼では雲の間からちらちらと明るい月が輝いて見え、息子1が新しいカメラでその姿をとらえました。


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ドリトル先生と月からの使い』(ヒュー・ロフティング作、井伏鱒二訳、岩波書店
折しも息子2と、ドリトル先生シリーズで月が出てくる話を読んでいる最中だったので、月がいつも以上に神秘的に見えました。

13巻あるシリーズで、とうとう7巻読破。7巻が上記、8巻『ドリトル先生月へゆく』9巻『ドリトル先生月から帰る』と、なんと月旅行の話だけで3つも使っています。まだ馬車の時代が舞台だというのに、一体どうやって月へ行くのでしょう。

毎度驚くのですが、ドリトル先生シリーズはほとんどの巻で旅に出るのに、どこまでがオープニングなんだろう?と思う程静かなまま半分以上過ぎたりするのです。使いが来るだけで1冊持つの?と思っていたこの巻も、半分読んでまだ「使い」が現れることもなく研究の様子や何ということのない話が淡々と続き、全く旅立ちの気配のないまま。

タメが長いこと長いこと。とても変わったお話の構成ですし、今のように出だしがサビでないと売れないような音楽や映画の作りと真逆なので、とても新鮮です。地味なのに、生き生きした登場人物たちと、地理学や歴史、科学的な要素を盛り込んだ具体的な描写と突然展開する奇想天外なストーリーがたまらない魅力で、いつの間にか子供たちも私もとりこになっています。

大人になると、どうしても多くの音楽や本、映画を見ても、何だか見たこと聞いたことのある構成だなというものが増えてゆくわけですが、ドリトル先生シリーズは1900年代初頭に書かれた古典にも関わらず、度肝を抜く面白さが味わえます。ただし、ダイナミックな展開までの地味でしずかーな部分も併せ持つので、少し忍耐のいる本かもしれません。

添えられた挿絵がまた味わい深く、ちょっとへんてこな画風が子どもに大うけです。時代的な背景があり、人種差別と捉えられるような部分がある為にアメリカの公共図書館には置いてないと聞きますが、何冊か読み進めた方であれば、ドリトル先生が真のヒューマニストだとわかるでしょう。

礼儀正しい穏やかな人柄でありながら、好奇心をそそられたことには子供のように興奮して寝食を忘れて研究に打ち込み、助けたい動物があれば全てを差し出してできるだけのことをし、全財産投げうってしまうので、周りの動物家族や助手のスタビンズ少年をハラハラさせます。

許せないことには心から怒り、時には棍棒を握って闘ったり、世間から誤解されて牢屋に入ってしまうことも。読者が先生にこれほど惹きつけられるのは、先生が正義からではなく、ハートで行動できる稀な大人だからでしょう。世間体を気にせずに自分の価値観をしっかり持っている真の自由人です。

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秋はなぜこれほど、においや味、視覚がくっきり感じられるのでしょうね。
庭に今年もコメットさん(エゾミソハギ)が咲き、ある朝とてもきれいに見えました。

店には明日からりんごのタルトが並びますよ。
すてきな秋をお迎えください。