大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

まなざし・祈り


阪神・淡路大震災震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。震災で被害を受けられた方々の傷が癒え、安らぎと幸せがありますように。

神戸の画家髙濱浩子さんの『眼(まなざし)』を開く。1995年2月22日に三ノ宮ー神戸間の電車がまだ動いていない、とある。半月後にご自宅の水道もガスも止まったまま。髙濱さんが生きていてくださることが、嬉しい。

髙濱さんの絵は、時々少し苦しい。この表紙などがそう。目を背けたいような、少し不快感を持つ、深く入り込んでくるもの。それは、死を起草する恐怖と嫌悪なのかもしれない。すばらしく心地良い洗練された絵を描くこともされる髙濱さんが、逃げずにそうした根っこを捕まえようと真摯に取り組んでいらっしゃる背景には、震災の体験が大きくあるだろうか。

天と地を行き来しながら、奥の方から聴こえてくる何かに、ひたすら耳を澄ましていらっしゃるように見える。

不思議なご縁があって、2021年に展示をしたとき、インド留学で髙濱さんがいた町で踊りを踊って喜捨を得る行者の描写を私家版エッセイで読み、私が函館民俗音楽祭で会ったことがあるかもしれない、と話すととても驚いていらした。インドでもそのあたりにしかいない種類の行者という。

森町の駒ケ岳小学校の体育館での舞が印象的で、体は神様のありかで、それを美しく鈴を鳴らして舞って感謝を捧げる、というような意味あいのことをおっしゃっていたのが印象的だった。それを髙濱さんに伝えると、その行者だと思うとのことだった。函館のホテルでも行き会い、なぜかその後西荻窪の道端でも出会った。


髙濱さんから手渡された、神戸のポトゥア東野健一さんの『蝸と兎』(maillet books、2016年)の巻末に載っている「ムクンドさんと沙羅の林」にある東野さんのご師匠の最期は、私の理想。ただ土に埋まることやそっと去ることが、日本ではどれだけ難しいことか。

生の舞を美しく踊り、鈴を鳴らし、ご師匠のように親しい人たちの中で、そっと去る、そんな風に、生きられるだろうか。

今日をともにする人たちと、生きることは苦しいからこそ、争いではなく、きれいな音を響かせたい。

画集『眼』