大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

秋の日に

朝日を浴びようとAの字で外に立ったら、指先にトンボが止まってびっくり。すっかり涼しくなった大沼です。

インボイス制度の署名にご協力くださった皆様、ありがとうございました。ここ数日で署名数がぐんぐん伸び、過去最高のデジタル署名数が集まっているようです。
署名は興味がないけれど、インボイス制度について知りたいという方はこちら

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私の人生は、子供の頃からある括りがあるとその中でほぼ少数派に属するという経験の連続でした。幼稚園から始まり、集団の中ではもちろんですが、5人家族の中でも常に私の好みや考えは少数派。

そのため、例えば昭和的な話題で言うと、テレビの指名権は自分にはないと思い込んできました。今思えば、言えば良かったかな。でも、「〇〇が見たい」という意見ならともかく、「野球中継を見たくない」とかは通りにくいものです。

この「〇〇がない方がいい」パターンは、その後も延々と続きます。サービス精神のある日本の社会では、逆パターンが多く、プラスされてゆく一方。ない方を選ぶには、よりお金がかかる場合さえあります。

学生時代の終わりにはPHS/携帯電話が普及し、その後スマホの所持率は90%以上になったそうですが、私は一度も持ったことがありません。それが嫌とかいうよりは、必要を感じないから。そのまま過ごしていたら仙人扱いされるようになりました。

マイナンバーカードも持っていません。特に困る場面が今のところないからです。導入するときは、なるべく「これは必要かどうか」を自分で理解して、納得して取り入れたいし、それを愛情を持って使ってゆきたいです。

今回の制度について、私が一番問題と思ったのは、当事者で登録した人の多くが必要かどうかではなく「仕方なく、よくわからないまま」登録したこと、登録している人もしていない人も、制度について理解が不十分であることです。徴収した税金の使い道も定まっていません。

何となく始まったぼんやりとした制度、何となく集められぼんやりと消えてゆくお金。政府の誰一人、わかりやすい言葉でわかりやすい説明をすることのないまま、他の国民の気づかない場所で施行されようとしている。

それが良い制度であるとは、とても思えなかったのです。

常に少数派だったために、人に自分の意見を話すことすらしなくなった時期がありますが、今は違います。私が困っているなら、ほかにも同じような人がいるかもしれない。たとえそれが少数だったとしても、困っているなら放っておけません。

何もできなくても、困っている方がいるんだ、と認識して生きているかいないかで、人生も社会も変わってきます。

状況を説明するには、言葉と多大な時間と勇気が必要です。リスクもあります。でも、私と同じような人がいるなら、私はその人を助けたいと思う。だから、口当たりのいい社会論を並べるのはではなく、自分のリアルな話をしました。

夏休み、近くに住む14歳の女の子がまっすぐな目で署名活動している姿に触れて、とてもかっこいいと思いました。

インボイス制度反対の運動をしたら、どう思われるだろうと気にしていた私ですが、今やるだけのことをやらなかったら、あの時(原発事故のとき)みたいに後悔しそうだから。

やれるだけのことをやり、後はまた業務に戻ります。社会が、希望の持てる場所だと信じられるだけで、同じ世を生きるとしても、心持が全く変わります。署名の増加は、少なくとも賛同してくださっている方がこれだけいるんだ、という勇気になりました。

今日もブドウのタルト、プルーンのタルト、栗のケーキ、トマトのキッシュ、ぶどうパンなど、勢ぞろいでお待ちしています!

秋のすばらしい一日を、一緒に楽しんで頂けたら幸いです。