大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

災害のときに(修正)


大きな地震から1か月経ち、未だに避難生活をしている方々が多いこと、現地の皆様だけでなく、日々被災地以外の皆様も報道を見るたびに心が痛むことと思います。

亡くなった方々のご冥福を祈り、一刻も早く復旧の目途がつくようお祈りします。

人が生活するときに必要なもの、厚真地震の長期停電の際、改めて実感することができました。まずは何より水、そして火。使える場所さえあれば、ひとまずこの2つがあれば生き延びることができそう

大沼にいたから、シンプルにそう思えたのかもしれません。排水がある程度自由にでき、自由に汲むことができる水源がある。人家が少なく土があるので、火を使えるスペースがある。(季節さえよければ、ですが)

大きな災害があった時は、リアルに自分のイメージを高められる貴重な機会。水源はあそことあそこ、火は、うちの場合は家が倒壊していなければ薪ストーブを中心に炊事は成り立つ、ダメな場合はバーベキューの時のように外に炉を作る。マッチはもう少し余分にあった方がいいな、など妄想を広げて必要最低限を確認。

雪をどかせばハーブが青々したまま凍結しているので、お茶には困らない。野菜は、移住当時は北海道の伝統的なやり方をまねて雪が降る前に土に埋めてみたものの、やはり掘り出すのが大変過ぎて継続できなかったけれど、リンゴやシイタケ、煮干し、昆布など乾物はある。雪がなければ、食べられる野草が結構あります。

食べ物はひとまずお米・塩・味噌があればなんとかなる。缶詰と海苔があればなおよい。これは東京から海を越えて引っ越してきた時最初の3週間と、コロナで隔絶した時にも確認したことでした。(お米はほんとうに頼りになる!)

トイレはその辺でして、お風呂はお湯を沸かした絞りタオルで顔を、時々体を拭けたらありがたい。こちらは4年前の手術後の経験から。数週後シャワー、1か月後浴槽に入れるようになり、入浴は1日のうち何よりの楽しみでした。

体験の積み重ねが、その時も自分を助けてくれました。ガラガラを押さずにリュック1つで、どこへでも自分の足で歩いてきたことなど、「あれができたからこれもできるのでは」という気持ちの支えになりました。そういう時は、恵まれた経験よりも過酷な経験が生きてきます。


自分で好きなときにトイレに行けること、自分で洗濯を干せること、自分が作りたいものを調理できること、数週間かけて手に入れてゆく自由のどれもが、嬉しくありがたく思いました。

年をとってもそうでありたいし、もし私がお年寄りの暮らす施設を作るなら、ぜひその部分は残したい。できるだけ自分でトイレに行くことができる仕組み、できるだけ調理に関われる仕組み。

子育てをするときも、同じことを大切にしてきました。自分で好きな時に排泄でき、できるだけ自分の意志で食べたいときに食べること、調理に関われる仕組みを作ること。「できない」のは、そういう環境を、既にいる人たち(一緒に暮らす人だけではなく、地域や社会、外側全ての存在と過去から続く時代や状況)が作っているだけで、子どものせいじゃない。

ほんとうはみんな、自分でやりたいんじゃないかと思うのです。助けてもらうより楽で自由だもの。助けること・頼ることはとっても大切だけど、この基本は忘れないようにしようと思います。自分でできるようになるための手助けをするということを。

災害などがあったときに確認したことを、忘れないように見えるところへ置いておきたいです。日常では様々なものが積み重なってゆき、埋もれてしまうことがあるから。

話が逸れましたが、今の妄想は家や土地や薪あってのこと。冬、そして家屋が倒壊している場合は…。イグルーたちは氷の住まいと火をどう共存させたのだっけ。自然から得たものだけで暮らしていた時代から学ぶことは、限りなくありそうです。