大沼ねこひ日記

三月の羊の製造以外(企画、営業、広報、売り子 +マイフィールドの喫茶、絵本、gallery)を担当。高崎→東京→大沼へ

真夜中を歩きながら

昨春、手術以後心の支えになっていたcreepy nutsオールナイトニッポンが終わって、眠れない夜をどう過ごしていいか途方に暮れていた時期があった。

翌週から始まったAdoの、鶯の初鳴きのような初々しいラジオを時々聴き、続くフワちゃんの気遣いと愛の溢れるラジオにしばし光明を見出す。連続で自虐的パーソナリティーは無理と感じ、Adoよりだいぶお姉さんのフワちゃんにすがりついて数か月。creepy nutsの穴をわかってくれ、みんなー私の胸で泣いていいよ!と両手を広げてくれたところに甘えた。

時々他の曜日のパーソナリティーも一巡して、やっぱりフワちゃん。けど、あるあたりから意識的に夜iPodをつけないことに成功し、代わりに本を開く。

ベッドでスマホは悪習慣とか(私のはスマホではないけど)時間の無駄とか、そんな当たり前のことを言ってくれる人は、きっと夜中にオールナイトニッポンに心救われる人間の気持ちはわからないだろう。

午前1時、2時、あるいは3時、4時、5時。iPodの明かりを家族に見えないように布団で隠しながら暗闇でこそこそラジコやyoutubeを動作するのをやめてからは、ランダムな目覚めとなった。でも、本だから気にならない。見つかっても、ちょっと堂々とできる。

家族から離れ、ひとり北大病院で1か月半過ごす私に姉が勧めてくれたiPodは、4年経って瀕死の状態だ。だから、なるべく早く依存をやめよう、と夜の使用を手放してみた。今は西荻の雑貨店FALL店主、三品さんの本が深夜の友。


『波打ちぎわの物を探しに』三品輝起、晶文社、2024年

めまぐるしく変化する世の中を見据えながら、過去の体験や読んできた本を絡め、ユニークな筆致で綴る。

かつて西荻で学友みたい、と不遜にも肩を並べていたつもりだった私は、子育てをしている10数年間で三品さんに遥か引き離されてしまったように感じていた。子どもを産むと、難しい本が全く読めなくなった。長男を妊娠したのち、ようやく私が自分の読書をしようと思えるようになったのは、ついここ1-2年のこと。

古典児童書なら誰にも負けないくらい読んできた15年だった、と誇れるものの、2冊、3冊と著書を重ねる三品さんが眩しく思えた。でも、今回の本を読んではっきりわかった。三品さんとの差が開いたのは、別段子育てをしてきた15年の為だけではなかったということ。

20代に差し掛かる前から、もう三品さんの中でここへ向かう心の準備ができていて、だから積み重ねが一定のラインを超えた時、1冊目夏葉社、2冊目新潮社、3冊目晶文社という見事なステップを踏んだのだろう。出会った時点でのモチベーションや布石の数が、全然違ったのだ。

3冊目。筆が乗ってきた本書は、深夜徘徊のお供にしっくりくる。チェックしたいメディアが幾つも並び、メモを取ってしまうような本は久しぶり。それでいて不思議ないびつさを持って世の中を見切るため息まじりの哲学者のような足跡が、真夜中の孤独を和らげてくれる。

今夜はAdoの代打で1年ぶりのcreepy nutsオールナイトニッポン。Rさんは家族が増え、松永さんはメディアを離れてスクラッチに打込み、もうあの中学の教室みたいな場からはだいぶ遠くなってしまったかもしれない。いつでもリアルな今の自分を見せてくれるふたり。心底くだらない幸せな時間が、あの時の私を救ってくれた。

もやもやした日々も夜に目が覚めることも、全部良しと思えるほんの少しの余裕が生まれたから、今は夜が怖くなくなってきた。起きても本が読めてラッキーだ。

子どもたちを22時に寝かせるために必死で灯りを消してきた自分も、布団の中で隠れてラジオにすがりついていた自分も、今はがんばったな、と抱きしめたい気持ち。

ただただ笑いはじけて何もかも忘れさせてくれたあの時のラジオ。あんなに他愛ない愛すべき場所はなかなか見つからないけれど、緩和ケアを見つけ、私は日常に戻ってゆけるようになった。手のひらサイズのiPodは製造を止め、時は流れてゆく。